理不尽への逆襲

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企業と言うのは、誠に都合が良いもので、
元気でいるうちはメチャメチャ酷使しながら安い賃金で馬車馬のようにこき使う。
常軌を逸した過重労働で現場で脳卒中に倒れても、作業日報を改ざんし労働基準法違反はないことにして、知らぬ顔の半兵衛を決め込む。責任は元請けにあるのだが、下請けは事後の厄介を押し付けられる。無知な労働者は抗する術をしらず泣くしかない。
発症から2年すると少し落ち着いて考えるようになる。しかし、どう考えても元請けの横暴には頭にくる。いっそ当てつけに会社の前で灯油でも被って焼身自殺の真似でもをしてやろうかと思う。だが、間違って本当に火が点いたらと思うと気が萎えた。
眠れない夜にある元請けの手抜き工事の事を思い出した。
そうだ、あのことを世間にバラしてやると覚えたてのワープロ専用機を駆使してハガキした。週刊誌の読者コーナーにするような感じである。どうせ反応は無いだろうと思っていたが、投函して3日めに工事部長が電話してきた。
「労災の件は可哀そうだが自分たちにはどうしようもない」
「ああそうですか。この話は元請けと俺の話ですけん、下請けのアンタは関係なかですけん」
「そげん言わんで、こっちの話も聞いてくださいよ。明日自宅まで伺います」
あれあれ、風向きが変わってきた。あのハガキ効果あったんだ。

まあ、いつの時代もそうですが、社会の底辺層というのは哀れなものです。理不尽を押し付けられても論が張れないから知識人に丸め込まれてしまう。
元請けのゼネコンになんで労災にならないのかと文句を言っても、貴殿はうちと直接の雇用関係が無いので知りませんと言う。じゃあ、直接の雇用主である下請けと交渉するしかない。事故などの面倒も一切合切含まれての発注だからそうなる。要するに下請けは親会社の防波堤なのだ。
脳卒中の発祥の原因は過重労働だと主張した。労災が不受理だから下請けの会社が装具の費用や治療費の一部、見舞金を支払う義務があると手紙を書いた。
専務がこういった。
「カタワになってひがんどるんじゃろ」
いよいよ頭に来たので、裁判所に調停の申し立てをした。
裁判所から呼び出しのハガキがきて福岡簡易裁判所で、第一回目の面談があった。
ロマンスグレーの紳士然とした調停員がこういった。
「貴方の気持ちはわかります。みなさん、最初はそうおっしゃいますが、裁判になれば向こうは弁護士を雇って争うそうです。貴方が独りでやっても勝ち目はありません。それとも弁護士を雇いますが。高額な費用がかかりますよ。貴方にも同情すべき点がありますから要求額の178万円を30万円に下げて相手の情にすがるのが良いと思います」
そういわれて頷いてしまった。しかし、夜寝ていても悔しくて眠れない。夜が白み始めるころ、ふっとある事を思い出した。よーし、あのことを突いてみるか。

立場の弱い労働者に対して企業が理不尽な態度をとることが多々あります。長時間の残業を強いる。休憩の時間を与えない。約束した賃金を払わない、その他、パワハラなどなど。
約束した賃金が支払われない。中小零細企業だとだいたい口頭契約なので、証明のしようがない。作業日報などは事務所が管理するので都合の悪い情報は改ざんしてしまう。これはお役所も民間も同じです。
役所にいいつけてやるぞと言うと、
「出来る物ならやってみろ」
と高をくくってるわけですが、実際に裁判所から呼び出しのハガキが来ると、被告人〇〇は何月何日に簡易裁判所へ出頭せよと書いてあるからギョッとなるわけです。どういうことかと首を捻りながらも出頭せざるを得ない。
裁判所に訴えられると訴えられた方が被告になり訴えた側が原告人となります。そんなバカな。何で俺が被告人なんだと相手は思いますがそういう決まりなんです。こうして訴えられると正式の事件として国が認定したことになります。
裁判をするにも手順があります。まず、揉めている当事者同士が話し合いをする。話し合いがこじれて解決しない場合に調停という制度があります。それでも解決しない場合に、訴訟という正式の裁判になります。法律に詳しくない人は法律に詳しい専門家(弁護士)を法定代理人として立てることができます。弁護士を雇う雇わないは自由です。弁護士を雇うには高額な費用がかかるのでボンビーな労働者には画餅でしかありません。画に描いた餅は食えません。

裁判に負けると負けた方が相手側の裁判の費用を払わねばなりません。ただし、これは裁判所に出す書類に貼る印紙代とかなので大した額ではありません。裁判所が認めると相手方の弁護士費用も払わされる場合もあります。
弁護士を付ける付けないは自由なんだから、そんなもの知るかと突っぱねることができますが、そんなことは労働者は知りませんから、裁判に負けたら高額な損害賠償を払わねばなりませんよ。それでも裁判しますかと脅しをかけてきます。
弁護士ってね、弱者の味方のように思いますが、案外クソが多いです。法律の知識を駆使した金持ちの太鼓持ちなんですよ。まあ、資本主義というのが金持ちの都合の良い制度ですから、ウダウダ言っても負け祈の遠吠えなんですね。
これを打破するには他人を頼らないで自分でやるしかありません。裁判って、戦国時代の戦ですからね。討ち死に覚悟で、裸形に錆槍一本担いで戦場に向かう足軽のような気持ちでしょうか。

どの企業も裏では、世間に知られたら不味いコトは多々あります。特に土木建設業界は多くいたるところで手抜き工事が行われます。図面通りに鉄筋が入っていないなんて事がコンクリート打ちの検査前に露呈する。しかし、今更やり直しはできないからミスを隠蔽してコンクリートを流し込んでしまう。
そうなると中の鉄筋がどうなっているかなんて絶対わかりません。ですから土木建設業界のやり放題というわけです。なので、言ってやったのですよ。
「おい、いいのか大分自動車道の白滝川橋脚の手抜き隠蔽を公団に言いつけてやるぞ」
これで企業はマジビビりましたね。裁判所でこの話を切り出されるとまずいですからね。僕の自宅まできて当初は聞く耳を持たなかった部長も専務も平謝りですよ。見舞金の178万円を払うから勘弁したくれと半泣きです。現金で払えないから分割でなどと言い出しました。
「アンタたちが俺の脳卒中を労災にしてくれていたらこんなことにならんとにですよ。頬かむりするけんでしょうが。そんなら70万円をキャッシュで、残りは3万円の分割で手を打ちまっしょうたい」
部長と専務は青菜に塩と言った状態で帰っていきました。

仕事中に過重労働で脳内出血に倒れた。作業日報を改ざんしてまで企業の責任逃れで労災を棄却された。頭に来た僕は簡易裁判所に治療費請求の債務不履行の調停を申し立てる。司法も行政も企業の味方で哀れな半身不随者の言い分など誰も聞いてくれない。いよいよ頭にきて牙を剥いたのが功を奏する。和解が成立するもある事がきっかけで攻守所が変わり事態は意外な展開をみせていく。

初夏の和解成立から麦秋へと移ろう。
国道3号から関門海峡を渡り国道8号へ乗り入れた。さらに北上し、国道9号で北陸を観光し日本海沿いに九州へ戻る。ドライブ旅行から戻り、何気にテレビを付けると仰天のニュースが流れた。

2回目の裁判所からの呼び出しが来た。被告原告共に出頭し、下請けの専務が調停員に話し合いで和解したことを伝えると、一同裁判官の前に並ばされ、グレーの背広を着た老判事がよろよろと椅子から立ち上がり、

「270号債務不履行調停事件は和解が成立しました。それではみなさんお手を拝借。よ~い、シャンシャンシャン~♪」博多一本締めで終わりました。裁判所というのでもっと重厚な雰囲気を想像していたのですが、町内会長が近所のもめ事を処理したようで、拍子抜けしました。

妻との北陸ドライブ旅行から戻り、何気にテレビを付けると仰天のニュースが流れた。

1989年10月17日アメリカのサンフランシスコで地震が発生し、高速道路が倒壊した映像が流れました。僕は下請けの専務に電話しました。

「もしもし、アメリカの地震みたでしょう。やっぱり大分道の橋脚手抜き工事の事は公団に知らせて手直しした方がよかですばい。まだ、大分道は開通しとらんけん、今なら間に合う」

「まあまあ、あれは工法が古いからよ。福岡支店に遊びにこんね」

後日福岡支店を訪ねた。

「アメリカの件は工法が古いけんよ。昔はフープ筋を巻いとらんやった。今は違うフープを巻いてガッチリ締めてある。日本の土木技術は優秀なので問題ない」

「道路公団の専門家も日本の技術は優秀だから問題ないとテレビで言っていた。

「しかし、25ミリの主筋と19ミリの鉄筋10本ぐらい切断して移植したとですよ。強度が足りんでしょう」

「元請けで強度計算したら大丈夫と言いよった。うちもあの件が公になると立場上困るよ。俺に出来ることはないね。」

こういう事になるなら見舞金の要求をもっと多くしておけばよかった。かと言って、要求額を釣りあげるのも気が引けた。

178万の70万円はキャッシュでもらった残り108万を毎月3万円僕の口座に振り込む約束である。それを一括でくれというのも悪い気がする。なので1300CCのダイハツシャレードを購入し支払いは専務がローンを組んで払うことに。

工事現場で脳内出血に倒れた作業員を労災扱いさせずに放りだした、年間完工高5億円の橋梁土木専門の下請け会社は作業員の逆襲に合い、いくばくかの見舞金を握らせて黙らせた。その矢先にアメリカの地震で話を蒸し返された。しかし、それもなだめすかして、やれやれとと思ったのもつかの間、今度は釧路沖の地震である。チクリチクリと嫌味な電話をかけてくる。
イチ作業員のいう事など相手にしなければ良いのだが、脛に傷を持つ身とすれば下手に警察に相談すれば藪蛇となりかねない。どうしたものかと専務はため息をつくしかなかった。作業員に企業秘密をにぎられて蛇に睨まれた蛙状態である。

1993年1月15日北海道釧路沖で地震が起きた。

下請けの専務に電話した。
「日本は地震億国です。やっぱ例の件は公団に知らせてきちんと対処した方がよかですよ。大分道の白滝川橋は由布山の目の前ですけん。いつ地震が起きてもおかしくなか」
「心配はいらんよ。耐震性については十分考慮しとるし、多少手違いがあっても大丈夫なように設計されてるから大丈夫。それよりも一席設けるけん福岡支店まできてくれんね」

福岡法務局で、元請けの登記謄本を取得した。人の戸籍謄本に当たる。業務内容、株式の発行内容や代表者の住所氏名が書いてある。社長に手紙を書いた。大分道の手抜き工事隠蔽は、どう考えておられるのか。といった内容である。たぶん、社長の耳には入ってないと踏んで、こっちの本気度を見せるために突いてみた。
下請けの専務が大慌てで電話してきた。面談の申し込みである後日福岡支店を訪ねることにした。さて、こっちも腹をくくらねばならない。元従業員に脅されていると警察に駆け込まれた場合、どうなるのか。最悪の場合恐喝罪で逮捕されるだろう。
しかし、そうなると警察に事の一部始終が露呈し捜査が入ることになる。向こうはそれが一番怖いから、絶対に警察へは相談しない。また、障碍者に脅かされてるなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えないだろう。
しかし、万が一ということもある。新聞で土木作業員が手抜き工事をネタに3千万円を要求して逮捕された記事をみたばかりである。前科がつけば障害者手帳は取り上げられる。その点の心配もあった。じゃあ、どうするのか、おとなしくお茶を濁して終わるか。
否、待てよ。こんな体で生きていたって、在宅障碍者の暮らしそのものが刑務所にいるようなものだ。収監されても在宅の暮らしと大した違いはない。ここは乾坤一擲の勝負に出るべきではないか。否、それはマズイぞ、止めとけ。頭の中でグルグル回る。
専務との面談には元請けの人間も同席していた。何かとヨイショしながら挨拶して違う部屋へ入る。
「な、彼らに中州で一席設けさせるよ。後のことは俺に任せてくれんね」
こっちとしては後いくらか金をくれというのが本音だが、口に出して言えない。言えば恐喝になるだろう。
「行くところが無いなら福岡支店にに遊びにおいでよ」
などと話しかける。ノラリクラリとした会話が終わると家に戻って一計を案じた。テレビにタレ込むのだ。マスコミは人の不幸をネタに飯を食ってるから乗ってくるかもしれない。放映されなくても良い。きゃつらが元請けに電話の一本でもかけてくれればよい。
毎朝テレビのニュースセンターに手紙を書いて投函して4日後に電話があった。
「ニュースセンタースタッフルームの中川と申します。こちらでちょっと調べました。〇〇土木は商社角紅の系列で、年間完工高300憶円ていどの中間ゼネコンですね。官公庁に深く食い込んでいますが株式は非公開です。もし、よかったら顔は出さないので声だけでもしゃべってもらえますか。また連絡します」
そう言って電話は切れた。

ロシアのウクライナ侵略に見る通り、力の無い者は、悲惨な目に遭う。愛だけで地球は救えない。我々障害者の世界とて同様である。資本主義の社会においては金が無いのは首が無いのも同然。社会の支配層の頸木から逃れられない運命にある。そんな体になって、どうせ何もできはせんと侮りを受けることもしばしば…。
ニュースセンターから電話があって、しばらくすると下請けの専務が電話してきた。明日にでも福岡支店にきてくれと言う。どうやらこっちの読みが当たったようだ。テレビ局からのなんらかの接触が元請けのゼネコンにあったに違いない。
よし、ここは一発大きく出てやろう。しかし、人を脅かして要求を飲ませるなんて、やったことないから要領が分からない。刑事物ドラマで恐喝犯が言うように、嫌ならいくらよこせとはとても言えそうにない。
人を脅かすって難しいもんだと首をひねる。治療費請求だと病院代だとか装具代とか精神的苦痛とか色々理屈を付けられる。しかし、お前の秘密を世間にバラしてやる。いやならいくらよこせとは言えない。それを言うと警察に引っ張られる。
しかし、手抜き工事隠蔽を指摘されたぐらいで、どうして天下のゼネコンがこうまで怯えるのか。そんなの知らない。ガタガタ言うと警察に届けるぞ。ととでも言えば済みそうなものだが…。
コンクリートの構造物は生コンを流し込んで固まれば中を調べようがないのである。解体して調べて、何もなかったらどう責任とるのかと言われれば、どうしようもない。しかし、土木建設業界においては手抜き工事は付きものなのだ。否、政治の世界、医療の世界においてもすべての業界においても不正は横行している。
下請けの福岡支店の一室で行われた面談は互いの本音が言い出せないままに終了した。その後しばらくして僕のダイハツシャレード1300CCがニッサンプレセア1600CCに変わった。


 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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