装具雑感

スポンサードリンク


<装具雑感>
装具を外している。歩行はぎこちないが歩くのは慣れた。内反尖足もあるが、足元を見なくても不安はない。懸念された足関節のグネリもない。ただ歩容はすこぶる悪い。
麻痺足で自重を完全にささえられるようになってから。綺麗な歩行を手に入れてから装具を外した方が良い。セラピストは押しなべてこういう。理屈は最もである。
装具を付けて綺麗な歩容を目指そうにもそうはならない。なぜなら装具を付けると内反尖足が矯正されると言うとそうではない。内反したままでも歩ける。足裏がひっくり返っても装具が足裏の代わりをするので歩行は出来る。
装具を付けて足が上って綺麗に歩けるようになって装具を外そうと思っていたが、30年経っても変化はない。装具を付けて歩く事になれただけだ。装具を付けて歩くのも装具なしでもどっちも楽ではない。ならいっそう装具無しの方が良いのではないか。外出の度に玄関で装具の着脱の面倒さや靴選びの煩わしさから解放される。
装具無しでは生活できない暮らしよりたとえ歩容は悪く変な癖がつくとか揶揄されようとも装具から解放されるメリットが大きい。病院にいる時から装具無し歩行の訓練をしていた方が良かったのだろうが、脳卒中業界の事情が長期のリハビリを許されない状況にあった。
長期のリハビリをする方が良いけど。医療費が嵩むので、どこかで切らざるを得ない。そうなると非難ごうごうだから脳卒中に限り保険料払わなくても只で介護保険が使えるようにした。デイケアーに行け。もっとよくなりたければ自費リハでやれ。
とこんな風になっている。自費リハでも完治とまではいかなくても、かなりの改善が見込めるなら良いが、改善するのは軽度の麻痺のみである。しかし、キャッチフレーズは重篤者でも効果があるみたいな勧誘をする。ボパーズだって昔はかなり動きのある患者のみ受け入れていたが、最近は受け入れ幅も広がっている。
リハビリ研究の大学病院の一人者も麻痺の軽い患者を自分がリハビリして治したとカンファレンスで自慢する。専門家ゆえにMRIの画像を見れば回復の可否はわかる。なので初期段階で、配下の病院でそういう患者を選別して己の実績として学会で論文発表し、手柄とする。
装具を付けていると親指が床に直接つかないので、皮膚が柔くなり、麻痺足に自重をかける訓練などするとすぐに豆が出来るようになるし指が曲がる。装具で常に保護されているので、脳は装具を体の一部と思っているのかもしれない。人の体は使わないとだんだん退化してして巻き爪になったりする。
病院やセラピストの存在は大変ありがたいが、一生面倒をみてくれるわけでもないので、頼りは自分だけ。と元気な時は尖がれるが、体調が悪いと手のひら返しする自分が情けない。

The following two tabs change content below.
まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

スポンサードリンク