ショウガイシャの生きる道

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障碍者は働きもしないで年金など福祉の恩恵でのうのうと生きている。時々そんな感じのことを言われます。ネットではさらにひどくて罵詈雑言も多いです。
まあ、実際、表面的にはそうなので言い返すことができません。しかたなく妻が働き自分が料理をし、生活費は折半とし、買い物=歩行訓練という感じで暮らしてきました。若いころは少しトンガリもしましたが、長ずるにつけ、障碍者は世間様のおかげでくらしてゆける。なので道の端を腰を落として邪魔にならないように歩いてゆこう。
すると例のやまゆり園の事件です。仰天しました。本気で障碍者を批判し、抹殺を実行する人間が出てくるなんて。想像すらできませんでした。これに対してどうコメントするのかもわかりません。

障碍者の存在を全否定されると僕はどういう心持で生きてゆけばよいのでしょうか。迷惑だから死ねと言われても。自分で死ぬのは怖くてできません。障碍者も病人も老人もいない。若くて元気のよい。頭の良いエリートばかりの世界なんてありえるのでしょうか。

リオオリンピックの行進で様々な国の人たちが民族衣装で歩いているのを見ました。色々な人々がいるのが普通で楽しい。そんな気がしました。特に、黒人女性の突起のあるヘアースタイルを見たときにです。

さて、障碍者を養うのは経済的負担が大きい。そういう批判にはどういう受け止め方をすれば良いのでしょうか。

我が国は世界第三位の経済大国と言われています。近年、超大国になったと胸を張る中国ですが、日本から莫大な金額のODAがなされ
中国のインフラ整備に一役買ったことは周知のことでしょう。ここ

また、我が国はG8からもお座敷がかかり、国連安保理の常任理事国入りを目指しておるともききます。有体に言えば先進国なんですね。だから様々な福祉予算は先進国を維持するためのコストだと考えたらどうだろうと思うわけです。

だって何をするにもコストはかかりますもん。だからと言って福祉の恩恵を受けるのは当然という心根は持ちません。精一杯社会復帰に向けて精進してゆこうと思います。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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