リハビリ雑感

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2013/03/07 FB投稿

完全麻痺の脳神経が回復する事はないという。それでも訓練を続けていると新しい神経回路が形成されるという。では新回路の形成にいったい何年かかるのか。20年以上かかり、知覚が戻ってき動きが出るにはどれぐらいかかるかは不明。感覚が戻らない事には訓練のしようもないがそれでも継続が必要と痛感。

2013/03/17 FB投稿

水泳を始めて半年ぐらいして麻痺足の膝が意識しなくても曲げて歩けるようになって大喜びしたが、歩きが少し楽になってそれだけだった。それからしばらくすると麻痺足にわずかに感覚を感じるようになった。27年も全くの無感覚だったものが、わずかでも感覚を覚えたので有頂天になった。これから一気に回復に向かうのかと、期待に胸を膨らませたが、状態は遅々として進まない。他人が見たら全く変化なしと一蹴されるだろう。
毎日毎日歩いているとわずかな変化も幻に思え、所詮は障害者だと落胆する。そういう事の繰り返しが年々も続く。苦しいリハビリなど止めてしまおうと時々想う。しかし、他にすることも無し、徒労とわかりつつ買い物ついでに通る駅の階段を麻痺足に体重をかけて、ゆっくりと2足1段で上ってゆく。区不自由そうな姿を見かねた親切な人が「向こうにエレベーターがありますよ」と声をかけてくれるが、説明するのも面倒なので「はい」とだけ返事する。
腰を下ろす時、ゆっくり下ろす事ができなくて、途中まで健足1本で支えられなくて、ドスンと尻餅を付いていたのが、最近はかなり下まで持ちこたえられる。また、立ちあがる時にも麻痺足から立てるようにもなった。わずかながらも麻痺足で地面を蹴っている感も覚える。
28年前の発病当時、全くの棒足でブン回し歩行で強引にあるいていた頃に比べると、ずいぶん楽に、長距離も歩けるようになった。やっぱりこれは脳神経の新しい回路が形成されている過程なのだろうか。障害を持ってるとわずかな変化を針小棒大にとらえる癖があるので蜃気楼なのかもしれない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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