医者の世界は徒弟制度、病院の格式

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脳卒中の場合は一度障害年金が認定されても3年に一回診断書を提出しなければならない。(人により違いがある)
ただし、永久認定になると出さなくてもよい。しかし、脳卒中の場合永久認定は難しい。僕の場合、15年間は診断書の提出を求められた。

片麻痺の場合、障害の認定が非常に曖昧であるためにかなりのばらつきがある。関東地方は緩やかで西日本では障害の認定が厳しい傾向にある。
特に田舎に行くと片麻痺の障害についてよく知らない医師もいる。片麻痺に詳しい医者から診断書はかいてもらうようにしたほうがよい。医師の診断書の書き方ひとつで、等級に大きく影響するので注意がいる。権威のある病院の医師に書いてもらうのがベスト(大学病院とか国立病院など)医師の世界はいまだに徒弟制度である。大学教授の教え子は教授の書いた診断書にはさからえない。

教授が3級の障害に相当との診断書をかいたとしよう。教え子の医師が2級だと判定してもそれは言えない。

知り合いの脳卒中で片麻痺のひとがいた。障害は重い、どうみても2級である。それなのに3級の身体障碍者手帳を交付されていた。みんながそれはおかしい、アンタはどうみても2級だと騒いだ。それで、本人は判定委員会に異議申し立てをした。

しかし、それは変えられないと言われた。判定を下した医師がその地方のボスだったからである。あの先生の判定を覆すことはできないとハッキリ言われた。その代わり障害年金の等級を2級になるように書いてあげるからと慰められた。

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医師の世界は徒弟制度

障碍者手帳の判定は5~6名の認定医によって行われる。だいたい公立病院の医師が多い。昔は国立病院の医師がほとんど。医師の中にも序列があって力のある医師には逆らえない。特に大学教授の教え子は教授には絶対さからえない。

また、病院にも格式がある。日本で一番の格式を誇るのが大阪大学医学部だ。通称阪大である。ここは幕末に活躍した西洋医術の総本山である敵適塾の流れを汲んでいる。日本医学会の源流ともいうべき存在である。

次が松本良順の流れをくむ順天堂大学病院と言える。松本良順は幕府の御典医でありながら長崎でオランダの軍医のポンペから西洋医術を学んだ。(将軍侍医、幕府陸軍軍医、大日本帝国陸軍軍医総監(初代)、貴族院勅撰議員などを務めた)出典:ウイキペディア

病院同士で論争になった場合、格式の点では上記ふたつの病院が有利になるのはいたしかたないことだ。地方に行けば大学病院や国立病院などが相当する。町医者と有名病院の医者では力の差が歴然としている。障害年金の診断書は医者であればだれでもよいが、できるだけ力のある医師に書いてもらうほうがよいだろう。

病院で障害年金の診断書を書くのは医師だが、実際に麻痺を計測するのはPTと言われる理学療法士である。彼らが診断書にRom(関節可動域)何度、握力が何キロという風に診断書に鉛筆で聞き込む。これを見て医師がボールペンで上書きしていくのである。なのでこの段階で医師が計測値を書き換えることもある。

たとえば麻痺側の手でも力いっぱい握ると7キロにはなる。事情のわかった医師は数値を少なく書いてくれる。たとえ握力があっても実際は使えないことがわかっているからだ。片麻痺の事をよく知らない医者だと力一杯握らせて、数値をそのまま書いてしまう。

最後に

これを見た審査官はこんなに
麻痺手の握力があるのならと3級にランク付けするかも知れない。理解のある医師なら握力はゼロにしておきましょう。というかもしれない。理解のある医師もいるが、反対に障碍者に厳しい見方をする医師もいることを忘れてはならない。

握力が10キロあったり、わずかに動くぐらいでは物の役に立たないので、計測のときに動きませんとハッキリ言った方がよい。社会通念上の歩行とは裸足で地道をスタスタ歩ける状態を指す。装具をつけてやっと移動しているのは歩いているとは世間では言わない。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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