脳卒中片麻痺者、土木作業員デビューを回顧

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クギ茶の入った女性と駆け落ちしたが失敗した。クギ茶というのは仮結納の事で、揺れる女性の気持ちにクギを差す意味で行われる。彼女も僕も当時28歳で、呉服屋の店員と着物の仕立屋という間柄であった。ある呉服屋の主人から彼女の親へ話が持ち込まれた。相手の男性が一流企業の社員というので、家族中大賛成であった。が本人は乗り気ではなかった。しかし、周囲が良縁だとはしゃいで話はどんどん進んだ。アッと言う間にクギ茶が入ったという具合である。

仮結納も済んだというので、相手の男性は彼女を喫茶店に誘った。帰りに河川敷の人気のない場所で車を止め、キスしようとした。この事で彼女の気持ちが一気に冷めた。ある日仕事で彼女宅を訪問した。沈んでいる彼女にどうかしたのかと声をかけた。見合いの顛末を聞かされた。ちょうど自分も借金問題を抱えて悩んでいた。お互いの悩みを打ち明けあっていたら、恋が芽生え始めた。相手の男性は仲人を通じて本結納を急いだ。彼女の気持ちはますます離れた。

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駆け落ちに失敗

恋愛というのは不思議な物で障壁が高ければ高いほど恋の炎は燃え上がる。周囲が反対すればするほど当人たちは燃え上がる恋の反作用とでもいおうか、とかく恋愛というものは不思議としかいいようのないものである。僕たちはアッと言う間に恋仲になり瞬間的に燃え上がり、消防車がきても間に合わない状態となった。夏の夜、僕は彼女を車に乗せて逃げた。逃げた先は長崎である。しかし、何の準備もしていなかったので所持金は2日で尽きた。

金策のため、彼女が従兄に電話をかけた。相手の男性と彼女の父親は激怒しているという。警察に捜査願いが出された。自殺の恐れ有りというので願いは受理され、車両ナンバーは手配済みだという。これを聞いた僕たちは風船がしぼむように恋の魔法が解けてしまった。

彼女は従兄に連れられて帰っていった。それからどうなったのか何もわからない。僕は故郷に居るのが嫌になって逃げた。日銭を稼ごうとちり紙交換の門を叩いた。夏場だったので西瓜を売れと言われて、西瓜売りになった。しかし西瓜のシーズンは短い。ちり紙交換に出始めたが、思うように稼げない。

西瓜で握った1万5千円を持って、西鉄八女営業所から唐津競艇行きの無料バスに乗った。しかし、レースは全く当たらず、スッテンテンになった。帰りのバス代だけは残しておいたからよかった。競艇のバスは、行きは無料だが帰りは有料となる。今更八女営業所行きのバスにも乗れない。目の前に博多駅行きのバスが止まっていたので皆につられて乗った。

博多駅に着いた時はポケットに80円しかなかった。ギャンブルに負けた時の独特の脱力感を味わいながらコンコースの柱に寄りかかった。ベトナムズボンの尻ポケットにスポーツ新聞を突っ込んでいたのを取りだして広げた。一行広告が目に着いた。

人夫出し

「毎日現金5千円日払い・作業員急募・新栄工業」の文字が飛び込んだ。電話をすると直ぐ迎えに来るからそこを動くなと言われた。

15分ほどすると目の前に緑色の箱バンが止まった。色の黒い一見して土木作業員とわかる男が運転席から顔を出して声をかけてきた。

「電話の人な?」

「はい…」

後部座席のドアーが開いてもう一人の30歳ぐらいの男がこういった。

「乗らんね」

混雑する博多駅前から裏へ回って10分ほど車が走って3階建ての小汚いビルの駐車場で止まった。男たちが車から降りて2階へ向かってさっさと歩きだしたので続いた。

入口にカウンターがあって40年配の角刈りの男が座っていた。

「お帰り、お疲れさん」

そして僕の顔や体をジロジロ見ながら、

「日当は5千円。飯代と寮費ば引いて仕事が終わればここで2000円払うけん。この条件でよかならそこの帳面に住所と名前ば書かんね」

そばに汚い帳面があったので住所と氏名を書き込んだ。側から角刈りが奥に向かってアゴをしゃくった。

「食道に行って飯ば食わんね。ベッドはどこか空いたとこを使うとよか。作業着と長靴はその辺にあるとば使いない」

カウンターの向こうが食道になっている。コンパネで作ったテーブルと工事現場で使う道板で作った長椅子が2セット置いてある。数名の労務者が焼酎を飲んだり飯を食ったりしていた。テーブルの上には大きな炊飯器とみそ汁の入った大鍋と茶碗の入った籠が置かれている。そばには丼があってタクアンが盛られている。

空腹だったので飯を大盛りにして味噌汁とタクアンで食っていると、一人の男がこう言った。

「兄ちゃん、3階が寝るとこやけんね。一番奥の下のベッドが空いとるけん」

3階に上がると段々ベッドがズラリと並んでいる。この日は汗臭いベッドに倒れこんで泥亀のように眠った。

明るさを感じて目を開けると周囲のベッドからむさ苦しい男たちがゴソゴソと身仕度を始めた。起きてキョロキョロしていると向かいのベッドの男が、

「あそこにある作業着と長靴ば使わんね」

と隅の方に置いてある段ボール箱を指差した。

箱の中にはヨレヨレの汗臭いナッパ服がいくつも入っているので、適当な物を選んで身に付けた。長靴も作業着も誰が使ったのかもわからない。臭かったが、そんな事を気にしている余裕は無い。皆と一緒に食道に降りて丼飯に卵をかけて流し込んだ。時計が6時50分を指した頃、モジャモジャ頭にヘルメットをかぶって地下足袋を履いた男がやってきて名前を呼び始めた。

「山下真、4号車、渡辺班」

皆がゾロゾロ階下に降り始めたので一緒に付いていった。4号車と書かれた泥だらけのハイエースに乗った。車は渋滞する天神を抜けると福岡の西区方面を目指した。海岸沿いを小一時間走った。造成地が見えてきてその入り口で車が止まった。プレハブ小屋から一人の男が出てきて皆を集めてこう言った。

「今日は排水路の土管の設置です。みなさん、事故のないようにお願いします」

訓示が済むと皆がゆるりとした足取りで奥の方へ移動した。工事現場に着くと道具箱が置いてある。それぞれ左官コテやスコップなどを取り出して作業にかかった。モタモタしていると、

訓示をタレた男がやってきた。

「そこの人、モルタルば錬るけん、ネコで砂ば運んでくれんね」

「えー、ネコちゃなんですか」

「ほらほら、そこにあろうが、一輪車たい。早く砂ば運ばんね」

これが僕の土木作業員デビューとなった。

最後に

子供のころから病弱で重労働に耐えられる体力も気力もなかった。切羽詰まれば人は結構環境になじむものだと思う。

脳内出血で片麻痺になってからも、発病当初はもう自分は今後は寝たきりを余儀なくされ、家族の迷惑になりながら廃人同様の暮らしをしなければならないかもしれない。そう思った時期もある。今パソコンの前に座ってインターネットをしている自分が考えられない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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