脳内出血、オペ見送りで正解か

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昭和60年2月3日

馬場脳神経外科へ入院。直ぐにCTが撮られた。脳の中にたまっている血腫を取り除かないと手足の麻痺は取れない。手術は出血から40日以内に行わないといけない。馬場院長の意見は、難しいが手術は可能との判断。家族は院長を信じて手術を受けろと言う。しかし、手術中に医師が間違って正常な神経を傷つける事があるかもしれない。

最悪、寝たきりになったらどうしよう、という不安がたえず頭をよぎる。たとえ手術に成功しても元通りに手足が動くという保証は無いとも言われた。その他にも手術の後遺症が出るかもしれない。そんな事を考えると眠れない。無理して布団をかぶっていると涙が溢れてくる。病院の付添は、母、親父、弟、妹が交代で付きそってくれた。

弟と妹は会社勤めなので付添ができないと、目の前で声を荒げた時にはどうしようもなかった。親父が付き添いで病院のベッドの横で床に布団を敷いて寝ていると、同室の患者のイビキがうるさいと看護婦さんに声を荒げるので困った。脳卒中で倒れた患者はイビキをかく。手術をする方向で話は進んでいた。

造影剤を入れて血管撮影をする朝に体温を測ると熱があった。熱があると血管撮影はできないらしい。その後、手術の話は出なくなり、結局中止となった。数日して院長回診があった。手術をしたからといって必ず良い結果になるとは限らない。院長は冷静な口調でそう言った。

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オペ見送りで正解

院長は大学病院の講師をしていると聞いていた。手術になると学生を見学させるので、その都合で手術を持ち出したのかもしれない。しかし、命にかかわるほどの事も無いので強くオペを勧められない。患者が簡単に承諾すればオペをやろう。脳出血の若い患者のケースはまれだから、学生たちへの良いサンプルになると思ったのかも知れない。

後になって、オペをしなかった事が正解であったと気づかされる事に成る。脳卒中の患者が突然倒れて口から泡を吹く事がある。テンカンの発作である。発作を起こした人に聞いてみるとほとんどが脳の手術をしていた。これが手術の後遺症であると思った。

オペ見送りとなった事を受けて、PTから筑後病院への転院を勧められた。ここは本格的なリハビリ病棟を備え、完全看護で付添の必要もないという。これから療養は長期に及ぶ。家族への負担の事を考えると転院した方が良いと思われる。

最後に

筑後病院へ行けば一人になるので、車椅子の操作から教わった。手足の緊張が非常に強いのでリハビリのやりようが無いと言ってPT梅沢先生は頭を抱えた。肋木に掴まって立ち屈みの練習とか腰を持ち上げるブリッジの練習をするように言われたが続かない。というよりできないのである。片手で靴下をどうやって履くのか。そんな事で悩んでいた。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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