他人事ではない、あるニューハーフの末路

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キリコさんの本名は村田良雄と言い、広島県の出身だそうだ。若いころからニューハーフとして水商売に入り、バブル期は博多のキャバレーで華麗なるダンサーとして活躍していた。ゲイバーでも働き接客術を磨いたという。バブル絶頂の頃はかなり稼いで優雅な暮らしぶりだったという。恋愛も様々な体験をし、髪結いさんの恋人もできた。しかし、バブルがはじけると水商売の賑わいも沈下していった。それに加齢が加わると容姿の衰えがひどくなり、博多のお店ではお座敷がかからなくなった。しかたなく北九州へ行って場末のスナックなどで働いていた。しかし、その場末のお店でも居場所がなくなって近隣の市町村の居酒屋で雇ってもらうなどしているうちに古賀市に住み着いたという。

僕の住む団地のそばにスーパーがあるのだが、そのそばの木造2階建てのアパートに一人暮らしをしている。生活費は羽振りのよかった時の貯金を取り崩しているという。それと関西に住んでいるという髪結いの恋人が時々送金してくれるそうだ。切り詰めた生活をしている。話を聞いて可哀そうに思い、卵をあげたり福祉センターの食堂でお昼の定食をプレゼントしているうちに親しくなった。

キリコさんは話術が巧みで面白い。暇にまかせて市内を散歩しながら身の上話をしては友達になり、農家からは野菜を、商店からは食材のお裾分けをしてもらって生活していたのである。国民保険にも加入していない。病気しても病院には行けないと言う。ある人が心配して新聞配達や、掃除婦の仕事を斡旋したが、水商売の道しかしらない彼女には肉体労働などは出来ないと言って断っていた。そんなキリコさんは話が面白い。なので障害者のオフ会でお昼の食事に同席を願ったこともある。

知り合いのデイケアーや整骨院へ連れて行った。キリコさんの話が面白いのでお年寄りが喜ぶ。デイケアーをお昼に訪問すればみなと一緒にお昼御飯がふるまわれる。3時に行けばティータイムである。こんな提案をした。高齢者の話し相手のボランティアをしてみないか。そうすれば御昼代がいらないので助かるだろう。経営者側も喜んで受け入れるという。しかし、彼女は一人では行きずらいという。

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最後に

ある時期からキリコさんの姿が見えなくなった。知り合いやら友人らが気にかけていたら、訃報を聞いた。姿が見えないし、新聞受けの新聞もたまったままなので、アパートの大家さんがカギを開けて入ったら、倒れているキリコさんを発見した。死因は餓死であるという。風呂場で力尽きていたそうだ。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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