片麻痺者ベランダ西瓜への挑戦

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平成17年、

ベランダで鉢植え西瓜を作ってみようと思い立った。100円ショップで8号の鉢を買った。鉢はプラスチック製なので片手に下げて部屋へ運ぶことができた。用土と西瓜苗は玲子が帰宅してから車で近くのホームセンターで購入。駐車場から団地の部屋までは300米ぐらいあるので台車で部屋の入り口まで運び、ベランダまでは片手に下げて運ぶ。ベランダに出るのは靴を履かねばならないが、これがまた実に面倒なのだ。

椅子をベランダに置いてこれに座って靴を履くのである。麻痺足には装具を付けているので容易ではない。それに足の突っ張りが強くて中腰になれない。狭いベランダで、片手で鉢に用土を入れたりするのも難儀する。鉢に苗を植えて水をやっただけでもうヘロヘロになった。

ベランダには防護柵があり、おまけに鉄板が張ってあるので貴重な朝日がさえぎられてしまう。床の上に置いているので苗に陽光が当たるのは太陽が昇り始める9時半から11時半ぐらいまでのわずかな時間しかない。正午になると太陽が建物の真上に来るのでベランダは正午を境に日陰になる。苗の成長が悪く弦がなかなか伸びない。それでも6月に入ると太陽の位置が高くなるので少しは陽が当たる時間も増えて弦も延びる。やがて花が咲いてきたので人口受粉を施した。

着果するかどうか心配であったが、6月7日になると校目ぐらいの西瓜の実が着いた。問題は灌水と施肥である。地面に植えたようなわけにはいかないと本に書いてある。水も肥料もやり過ぎてもいけないし、足りないのもいけない。常に葉っぱの様子を観察しながら慎重に水やりと肥やしをやらなければならないという。ほんとうにその通りで実が大きくなり始めた頃弦の先端が赤く枯れ始めた。最初これはなんだろうと思って園芸書を読んでみると、肥料焼けではないかと気づいた。植物には肥料を多く与えると葉っぱが枯れてしまうと書いてある。それからだんだん葉っぱが枯れてきたので7月14日に収穫した。西瓜の大きさはテニスボールぐらいしかない。でも割ってみると中は半分ぐらい赤くなっていた。しかし、ちゃんと西瓜の匂いがする。食べて見ると十分に甘いので驚いた。

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大玉西瓜へ挑戦

平成18年、

午前中2~3時間しか陽が当たらないベランダでは西瓜の実が大きくならない事を実感した。今度は台車に簡易温室を置き、その中に大きいプランターを入れ大玉西瓜の苗を育てる事にした。台車に簡易温室を乗せる事で陽の当たる場所へ移動できるようにしたのである。エレベーターで部屋のある5階から下に降ろして日当たりの良い場所に置いておくという方法を考えた。朝8時~午後4時ぐらいの時間を置く事にした。心配なのは苗が悪戯されないかという点にある。エレベーターの乗降口を出た直ぐの場所に置くのだがそばには道路が通っていて、人の目に触れるのが心配だった。

台車ごと持って行かれかねないので、フェンスに自転車用の鍵を付けた。外に出してわかった事がある。風が強い日は西瓜の葉っぱが折れるということだ。風が強い日には温室のビニールのチャックを閉めれば風をシャットアウト出来る。だが、そうすると今度は温度が上がり過ぎ、湿度が高くなるのが心配になる。湿度が高いと苗が病気にかかると園芸の本に書いてある。日当たりが良好で風通しが良い、そして水はけの良い場所が西瓜の栽培の条件とある。

西瓜の弦が伸びてくると温室の枠に這わせるために上の方へ誘引することにした。タコ糸を弦の先に軽く縛って枠にヒゲ弦が巻きつくまで引っ張っておくのである。この作業を片手でやるのが一番神経を使う。片手での紐結び、これが本当に難しい。やがて花が咲くので人口受粉を施して着果を待つ。

実が成り止まり、着果実が確定したらこの実を受けるバスケットを設置した。この作業も片手でやるので、葉っぱや実にできるだけ触れないようにしなければならないので本当に大変だ。両手が使えれば簡単なのだけど。

バスケットを設置し終わると西瓜の実がグングン大きくなる。毎日西瓜を見るのが楽しい。梅雨時になると雨の日は外に出せない。晴れ間が少ないと西瓜の生育が悪いので心配である。肥料は液体肥料を使う事にした。10日に1回ぐらい肥料をやれば良いと園芸書には書いてある。

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肥料は原液を1000倍の水で薄めて使用する。濃い過ぎると肥料焼けするので薄めるのも慎重にならざるを得ない。用土への水やりは表面が白く乾いたら行う。毎日プランターをエレベーターで下に降ろして夕方5階まで上げる作業を1ケ月半繰り返す。

西瓜がバスケットの中へ収まって大きくなるのが楽しくてしかたなかった。そして着果から35目、そろそろ収穫しないと誰かに盗まれるかもしれないと危惧した日。午前中はバスケットの中に鎮座していた西瓜が、午後になると無くなっていた。もうそれから1週間ぐらいは気落ちしてしょんぼりしていた。

この移動式台車栽培と並行してベランダでも小玉西瓜の苗を育てていたのである。日当たりを良くするために柵のそばに高さ1米ほどの台を作ってこの上に横に長いプランターを置いて育てた。問題は弦をどうやって這わせるかである。子供のころ朝顔を育てたように弦を這わせる棚を作った。

プランターを乗せる台はホームセンターでベニア板と切れ端の木材を買ってきた。しかし、片手片足で台を作る難しさはとても文字で説明のできるものではない。これはもうヤル気一筋でああでもない、こうでもないと試行錯誤するしかなかった。

ベランダの棚つくりの材料はホームセンターで売っている園芸用の竹を模した緑色の棒を数種類買ってきて防護柵の上に張り巡らせた。2米の棒を防護柵の柱にくくり付けるのは建築材料である、鉄筋の組み立てに使うナマシ番線を使う。これだと棒を手で柱に押さえつけながら同時に縛ることが可能である。ナマシ番線というのは細い針金の事で焼きが入ってないのでとても柔らかく指でも簡単に曲がる。かと言って紐のようには柔らかくないのである。

とりあえず柱にする棒を刈り止めし、後からしっかり固定する。柱の棒を2本立てたら今度は梁になる横棒を設置する。柱と梁を繋ぐには専用の固定金具を使用する。用人しなければならないのは棒を下に落としてしまう事だ。こうして柱と梁が出来たら跡は適当な細い棒を縛って棚が完成する。この時細い棒を縛るのは園芸用の固い紐だ。

これはプラスチックでできているので扱いやすい。弦が伸びると棚に這わせるのだが、風の強い日は葉が折れるのが心配だった。それでも3個の実を付けた。ベランダに作った棚の西瓜が3個連なってぶら下がっているのを楽しく眺めていた。

移動式立体栽培

平成20年、

平成17年にベランダで西瓜栽培を始めて以来毎年挑戦するようになった。ベランダでは日当たりが悪くてソフトボール大までなればいいほうで、だいたいテニスボール大ぐらいの大きさ。日当たりを確保したければ外に出すしかない。しかし、外に出すと収穫直前に盗まれる。自前の畑があるか、庭付き一戸建ての家でもあれば簡単な話なのだが。高層集合住宅住まいで西瓜を作ろうと思えばベランダで栽培するか、または台車にプランターを乗せて移動式にするか、色々悩んだが、移動式栽培を選んだ。

盗難防止用の柵を付けるのだ。前回使用したパイプ式の簡易温室ではなくて、プラスチック製の簡易温室を購入した。100円ショップで売っているメッシュを買ってきて簡易温室の周囲をグルリと囲った。ただ片方だけは空けておかないと弦の誘引や水やりができないのでとりあえず3方を囲って西瓜が大きくなってから全面をメッシュで囲った。朝エレベーターで下に降ろして夕方部屋の横の通路に置いた。今度は小玉西瓜の苗を植えた。この時の西瓜が一番大きくなったし、甘味も十分だった。

西瓜が完熟するのに必要な温度は1000度ぐらいだそうだ。平均気温30度で30日はかかる計算になる。しかし、平均気温30度と言えば8月を待たないとならない。6月~7月の平均気温はもっと下がって27~8度ぐらい。28度で計算すると約35日となる。着果してから35日目に収穫すれば完熟となる。開花から45日で収穫という目安もあるという。

普通の露地栽培の場合、弦が4~50センチ伸びたぐらいでピンチ(摘む事)し、脇芽が出てくるので、これを2本伸ばしてやる。実を着けるのは15節以上に成らせる。1番最初に成った実は摘み取って2番目以降に成った実の中から玉の勢いの良いのを選んで、他の実は摘み取る。1本の弦に2~3個ぐらいの実を付けさせる。弦を2本仕立てにした場合1株で4~5個ぐらいの実を着けさせるそうだ。あまり沢山実を成らせると小さくて大きくならないという。玉勢の悪い実を間引いて玉勢良い実に養分を集中させるのだと園芸書には書いてある。

最後に

立体栽培の場合は露地栽培とは少し違う。親弦をピンチしないでそのまま伸ばして1本仕立てとし、25節目に1個だけ実を着けさせるそうだ。つまり光合成のためにそれだけの葉数が必要だという事になる。西瓜の葉っぱは25センチぐらいあり、畑一面に広がっている。あれだけの葉数をプランターの立体栽培で実現するには不可能な事である。プランター栽培でも日当たりの良い地面に置いて弦を一杯広げさせて葉数を確保すれば大きな西瓜が成ることができる。ただし、適切な灌水と施肥が必要ではある。プランター栽培の場合の水やりと施肥はほんとうに難しい。ベランダという限られた空間で行うにはさらに難しい。詳細は姉妹サイト西瓜リハビリへGO

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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