医者と障害者雑感

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手術やリハビリで麻痺が改善しても次の年金の診断書の提出時には変化なしと書いてもらわないと2級の年金が3級に下げられる可能性があります。

4年~5年と経過するうちに生活の不自由さも慣れてしまいます。それなのに何もできないと書いてもらう必要がありますね。医者が障害者に理解があれば良いのですが、中には厳しい医者もいます。実質麻痺は改善していないけど、慣れることで生活に支障が少ないと治っているという見方もあります。

じゃあ、麻痺が改善したから就労につながるかと言えば、そんなに甘いものではない。一度ドロップアウトしたらなかなか元に戻れないのが現実です。僕は障害年金が頼りの暮らしですから障害基礎年金の維持にはとても気を使いました。

2級か3級かは医者の判断次第で、どっちともとれるのです。料理も買い物もできるなら3級だという医者もいれば、重い装具を付けてビッコを引いて歩く異常歩行で、片手しか使えないのだから2級という医者もいます。正確に言えば2・5級とか。こういう人の判定をどうするか、全て医者次第です。

ですから障害者に優しい医者を探すのに懸命でした。それもできるだけ権威のある医者が良い。大学病院の医者とか公共機関の病院とか。医者の世界は徒弟制度ですから親方である大学教授には逆らえない。傍流大学出身の医者でも県立病院とかリハビリセンターの医者とかは侮れない。

たとえ、誤診とわかっていても弟子の医者は親方医者の判断に異を唱えられない。大学病院なり県立病院なりの医者と争っても背後にある公的な組織を敵に回すことになる。もうこうなると街の開業医では抗えない。

近代医学会の筋目で言えば、一番の金看板は大阪大学の医学部です。あそこは幕末に緒方洪庵がやってた「敵適塾」の流れがありますから。それとか松本良順が作った現順天堂病院。幕府の御典医(漢方医)でありながら、長崎でオランダの軍医ポンぺに西洋医学を学んだという変わった人です。

ふっと思いつくままに書いてみました。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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