装具無し歩行

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1、団地の周囲(4000歩行)を装具を外して自撮りしながら歩いてみた。 室内と違って歩道は凸凹が多く垂れ足なのでつま先が引っ掛かる。

2、装具を外して団地の周囲(4000歩)北側を歩く。 ここは車道なので歩道と違い平たいので歩きやすい。 しかし足が上がらずまだまだ。

3、団地の周囲(4000歩)南側を自撮りしながら歩く。 ここは歩道ゆえに凸凹が多い。特に車が出入りする場所は傾斜が付けられているので歩きづらいコトこの上ない。尖足でつま先が引っ掛かる。

装具を外して団地の周囲(4000歩)北側を歩く。 ここは車道なので歩道と違い平たいので歩きやすい。 しかし足が上がらずまだまだ。
家の中でうまく歩けても外に出ると全くダメでした。つま先が引っ掛かるので、つい、ぶん回しになります。装具を付けると楽に歩けるので、買い物に行くときは、つい、装具に頼ってしまいます。もっと早い時期に装具を外すべきでしたが、装具歩行になれてしまっていました。

発病当初から装具無し歩行を訓練すればよかったのでしょうが、6ケ月過ぎたらもう治りませんから荷物まとめて出て行けといわれ、リハビリセンターに入れられて出る時は、自宅に戻るか障害者授産施設に行くのか決めろ。などと言われ、家族が引き取りを拒むケースもしばしばみられました。

リハビリセンターの寮母を口説いて彼女の部屋へ転がり込んだのが30年前の公団住宅。団地の周りを鉄の支柱の付いた短下肢装具を付けて歩行訓練にあけくれたものでした。当時からすればこんな歩きでも装具無しで歩けるのは夢のような話なのですが、スタスタ歩きには程遠いとため息が出ます。

2020/10/27日装具付けて歩いてみる。

2020/12/13日 
久しぶりに団地の廊下を装具無しで歩いてみた。いぜんよりは歩きになれたがまだまだ歩容が悪い。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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