ビーバップハイスクールの想いで

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ビーバップハイスクールの原作は福岡市出身の「きうちかずひろ」さんだと知って興味を持った。
ウイキペディアによると、
きうち かずひろ(1960年9月14日 – )は、日本の漫画家、漫画原作者、映画監督、脚本家。本名である木内 一裕名義で小説家としても活動。

1980年週刊ヤングマガジン創刊
1983年から連載開始

木内さんは昭和30年生まれだというから僕よりも5歳下になる。
1985年に東映で映画化された1985年は35歳で脳内出血に倒れた年でもある。

博多帯の担ぎ屋をしていた頃。

当時の僕は友達が経営する喫茶店に入り浸りボートにはまっていた時期。写真はマスターと常連者で糸島の福浦海岸で海水浴。

福岡県八女郡広川町日吉の国道3号線沿いの久留米建設機械専門学校のそばで広川中学時代の友達蒲池君(ぺこちゃん)が当時としても珍しい喫茶店サンラビを始めたので入り浸っていた。この頃は花の応援団(1975年~1979年・漫画アクション)というギャグマンガが流行っていて、幼馴染のヨシユキが熱心に読んでいた。その後にビーバップハイスクールの登場となる。しかし、この頃この手の漫画にもテレビにも映画にも興味はなかった。

喫茶店にはゲーム機がおいてあり、テニスゲームやインベーダーゲーム、スーパーマリオのゲームが登場し、特に、インベーダーとテニスが人気を博した。このころから街ではゲームセンターが登場する。田舎ではドライブインの片隅にクレーンゲームなどが置かれてた。

僕らの頃(s41)から福岡へ行くのは怖かったよ。西鉄大牟田線の久留米から福岡の朝鮮高校に通う者と福岡電波(現福工大付属)に通う者がいて電車内で常に反目していた。どちらの高校も福岡市東区和白にあるので、嫌でも顔つき合わせるから喧嘩が絶えない。これらに福岡市周辺の高校が絡んで勢力争いしていた。そういう背景を思い出した。今となれば懐かしい。

自分史・せからしかの紹介

2020年1月31日
予定通り 各電子書籍のストアで『せからしか』の配信が始まりました。
例えば、以下のウェブサイトなどで配信が始まっております。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

まこっちゃん

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