ネットトラブル負けるが勝ちかも。

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昔、SNSも無い時代ネット民は掲示板で交流していた。ある男と揉めた。その男は有名進学校から有名大学に入り法律の専門家で、超有名企業の社員だったが、40代半ば中間管理職で脳梗塞に倒れた。その後復職し、東京本社にグリーン車で通勤していた。
僕は土工あがりの中卒。向こうは超エリート故そりが合わず、オフ会の件で連絡がとれず揉めた。互いに誹謗中傷の応酬である。その男は別のグループでも揉めて退会処分となっていた。病的なまでの執拗さで攻撃してくるので、たまりかねて、彼の勤務先の九州支店に電話して仔細を話した。

支店長は本社の人事部長に連絡を取り対応を依頼したらどうかという。当時は電話代が高いので向こうからかけてもらうように頼んだ。人事部長は本人から聞き取りトラブルのあらましを知った。彼はネットカフェから書き込んでいたと白状した。

それでトラブルは終わった。そう思っていたが甘かった。1年後僕のブログに変なコメントがつくようになる。コメントを削除しても攻撃してくる。なんでだろうと思いふっと思出した。あの男に違いない。それからのやり取りで確信に変わった。
片麻痺系だからどこかで会う確率は高い。

その男は会社に告げ口されたことを恨んでいた。ブログへの執拗な嫌がらせは酷くなる一方だった。とうとうツイッターでは僕の名前で登録し、僕の顔写真付きで変な投稿を繰り返すようになった。

報復に出ようと思った。探偵を雇って対処しようかとも思ったが費用が嵩むので止めた。自分が追い詰めたから我慢するしかないと腹をくくった。いつかまたどこかで出会うかもしれない。いや、もうすでにフェースブックで遭遇しているかもしれない。否、密かに僕の事を監視しているだろう。

一度脳卒中にかかると、たとえ完治してもこの業界から離れられなくなる。同病者のみんなはどうやってくらしているのか気になってしかたがない。

たとえ議論で勝利しても負けた相手はいつまでも忘れない。我々の業界は狭い、いつどこで揉めた相手と再会するかもしれない。障害者の場合、住所など簡単に特定できる。

「負けるが勝ち」かもしれない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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