反張膝を治す訓練。

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当初は酷い反張膝でしたが、最近、少しづつ改善しました。膝をごくわずかに曲げたまま体重をかけても反発がありません。これが一時的な物でないことを願います。

膝にロックがかかると歩きにくくて。スクワットなど頑張ります。

反張膝
私の麻痺足は棒足といって、膝が伸びたまま曲がらない。
この状態で歩こうとすれば、腰をひねって足を外に振り回して歩くので、外旋歩行と呼ばれているのだ。膝は反張膝になっているのでとても歩ける状態では無い。これに内反と言う足裏のひっくり返りと尖足と言って足首がタレたままの状態である。

このような状態ではとうてい歩行など不可能なのだが、無理をしてでも歩かないと寝たきりになってしまうので強引に歩いた。歩くと言っても健側の足1本で歩いているようなもので、このブン回し歩行というのは死ぬほど疲れる。まあ。だいたいこういう非常に緊張の強い状態では歩行訓練すら指導してもらえない。医師もPTもサジを投げてしまうのである。
脳卒中の後遺症でアキレス健が縮んでしまうのがこのような症状を引き起こす大きな要因となっている。それで、このアキレス腱を伸ばせと言って、PTが矯正台に立たせたりするのであるが、5分もすると元に戻ってしまう。

尖足とはどのようなもので、どのような問題があるのだろうか。

 

 通常私たちが床の上に立った時、指先から踵までが床に着く。それでも、足の裏が全て床に着いているわけでは無い。土踏まずと呼ばれる、足の裏のアーチが床から離れている。これが正常な足の着き方である。

反面、尖足になっていると、踵が床に着かない。もっと強い尖足であると、足の指先方向半分ほどしか着いていない。最もひどい場合には、指先だけで立ったり歩いたりしていまう。

尖足になる原因は、下腿三頭筋(ふくらはぎ)の短縮が最も多いと考えられる。この尖足によって、立位や歩行バランスが悪いだけでなく、階段や坂道を降りるのにとても不安定となる。 尖足によって、足のアーチが壊され、尖足を正常に戻すための手術を受けた後にも、アーチが回復することはない。アーチの無いベタ足で歩くと、早く疲れたり、長い距離を歩くことができなくなる。
 
腰を落として膝を曲げようとしても途中でビーンと跳ね返されてしまうのである。まるでアキレス健がピアノ線でできているかのようだ。それでも歩きたい一心で足を引きずるように振り回しての歩行をした。PTからは膝を曲げてゆっくり歩きなさい。と良く言われたが、緊張が強いからとうていできることではなかった。

人間は、膝をわずかに曲げた状態で歩いている。脳卒中の後遺症があると多かれ少なかれ似たような症状があるのだが、棒足というのはとかくやっかいなものである。
                 

図のようにわずかに膝を曲げて体重を支えながら歩くのが正常なのだが、
私の膝は左図のように真っ直ぐ伸びたままなのであった。が、ここ最近改善が見られる
ようになった。足をわずかでも上げて歩けると非常に楽である。22年の苦しみから解放されることを願って容易ではないが、歩行訓練をがんばりたいと思う。

殿筋歩行

PTから良く言われた。足を高く上げて歩きなさい。軍隊が行進するときのような歩行が良いのだと。二足歩行の動物では、腰の部分にある中殿筋(ちゅうでんきん)という筋肉が良く使われているという。
              
発病当初というもの。緊張が強くて足が棒のように伸びたままでどうにもならなかった。足を上げること。膝を曲げて歩くこと。などなどとうていできることではなかった。どのPTも言うことだが腰を落として膝を曲げて、ゆっくり歩け。徹底的に麻痺足に体重をかける。キッチンに立つときも。信号待ちや電車待ちをしているとき。部屋の中にいるとき。とにかく四六時中麻痺足に体重をかけ膝を曲げて歩くことを自覚する。

しかし、そういうことはわかっていても実行するとなると至難の事である。1~2週間は続くが直ぐにへこたれる。言ったり文字にしたりするのは簡単だが。脳の神経回路がうんぬん。シナプスがどうとか。論じるが、所詮は絵に描いた餅。机上の空論に過ぎない。

わかっちゃいるけど。実行できない。へこたれては、また始める。一向に改善しないことに業を煮やし挫折する。どうせこんな体、なおりっこないからと自棄になり腹いっぱい喰うととたんに体重が増加する。とまた体重計のメモリを見て自己嫌悪。またリハビリをしようと始めるがすぐに挫折する。そういうことを延々22年間繰り返してきた。

しかし、大阪でオフ会を終えてから麻痺足に体重がのせられ、足も少しだが上げてから歩ける。今。その中殿筋歩行にはまっている。足を上げて歩けるのは非常に楽である。
お尻の筋肉や中殿筋、その他体中の筋肉がが微妙に影響しあって2足歩行は成り立つようである

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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