脳卒中リハビリ、血圧との付き合い方

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町医者は何かと言うと大量に薬を出したり、手術をして保険の点数を稼ごうとするから危なくてしょうがない。高齢のお年寄りなんか山ほど薬出されて負担金が数千円という事が常態化してる。絶対言われるのが「血圧が高いから念のためにお薬を飲まれた方が良いですね」

もうこう言われると患者は怖くてたまらなくなって飲まざるをえなくなる。血圧も上が200とかあれば薬を飲んだが良いかもしれないが、140か150ぐらいでも高血圧だから、と言われてしまう。しかし、イタリアでは160は正常値だそうで、降圧剤は飲まない方が良いという医者や薬剤師もいるし、降圧剤を飲んだ方が早死にするとも言われている。そういう記事がネット上に溢れている。こういうのを読むとますますわけがわからなくなってしまう。

血圧は常に変動する。その時その時に必要な血圧を体がちゃんと計算して血圧の調整をしている。同じ場所で同じ機械で10分後に図ってみると違う結果が出ることはよくある事だ。1回目に図ると上が150だったのが10分後に図ると130だったりする。午前中は160ぐらいあって午後になると120~130ぐらいに下がる。それでまた夕方になると150ぐらいまで上昇する。食事をすれば血圧は上がる。水泳後は下がる。

医者は朝昼晩と血圧を測れと言って血圧手帳なるものをくれる。平均値を出すのだそうだ。もうこうなると血圧のことで頭はいっぱいになる。四六時中血圧の事を考え、高齢者や障碍者の間では血圧の話題で盛り上がる。わずかな数値の変化ににおびえながら暮らしてゆかねばならない。

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降圧剤、飲むべきかそれとも飲まないか?

僕が発病したしたころは32年前だけど。上が140までなら正常と言われたものだ。医者によっては150までは大丈夫と太鼓判を押してくれる人もいた。それがいつのまにか上が130までが正常とかになってしまった。150という結果が出ると町医者は必ず薬を飲めという。

患者が怪訝な顔をすると念のために飲んでおいた方がいいでしょう。と、こう医者から言われるとほとんどの患者は頷いてしまう。高齢者や障碍者はいくらでも理由づけられるので医者も処方箋を書くのをためらわない。おかげで患者は山ほどの薬を持ってかえるはめになる。他に掛け持ちの病院もあると食べきれないほどの量になる。飲む順番も、どの薬をのんだのかさえわからなくなってしまう。飲み合わせの心配もある。この薬とこの薬は同時に飲んではイケナイ。心配になってネットで検索すると、今度は食べ物との組み合わせの注意書きもある。この注意書きというのが曲者で、後で後遺症が出たとクレームをつけられても困らないように事細かに説明がしてある。患者はめんどうになってほとんどスルーしてしまう。

団地の中にある老女医が経営する小さなクリニックがあって、高脂血症と言われてコレステロールを下げる薬を出してもらっていた。近いので定期健診で利用していた。ある時から上の血圧が150ぐらいになった。160という数値が出ることもあった。女医は降圧剤を飲めという。午前中だけが高いだけだから飲まないと抵抗した。すると、じゃあ午前中だけ効くように1錠を半分に割ったものを飲めというのである。あまりにもしつこいので半分づつ飲んでいたが、途中でバカバカしく思えて病院を変えた。

血圧が200とか300とかなって体に異常を感じるようになれば降圧剤の服用もやむなしと思うが、160ぐらいなら気にしないようにしている。だいたい脳内出血を起こしたとき血圧は300近くあった。それまでは120ぐらいと健康診断でも問題はなかった。僕の場合は、過重労働でストレスがかかり突発的に血圧が急上昇し、先天的にあった動脈瘤が破裂したと推測される。

健康な人でも何かのはずみで突発的に血圧が上昇することはあるそうだ。ただ、高血圧も治療をしないで放置しておくと脳卒中や糖尿病の引き金になることは間違いない。で、どの時点で降圧剤を飲むかだが、僕は上が200以上になったら考えてみようと思っている。

最後に

医者というのはとかく薬を出したがる。「念のために」は、一度大病を患った経験のある患者には魔法のことばである。まず、そういわれると患者は抗しきれない。病院の経営として売り上げを増やすためには薬の投与は必須条件である。薬を多く出して、手術を増やしてくださいと裏で病院の事務長がハッパをかける。マスコミも必要以上に危険度を煽って視聴率につなげようとやっきである。これを製薬会社が後ろから支える構図があることも否めないだろう。また、降圧剤の服用による副作用を懸念する専門家もいる。降圧剤に頼らないで運動を主体とした方法を模索している。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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