脳卒中後の田名角栄氏の想いで

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発病したのが昭和60年1月16日。その一月後2月17日に、田中角栄元総理が脳梗塞で倒れたと報じられた。越後の雪深い山村の貧しい身から起こし、学歴もなく土木業界で身を立てると政治家に転身し、日本国の総理大臣にまで上り詰め、マスコミは豊臣秀吉になぞらえ今太閤と持ち上げた。

ロッキード事件で下手を打ち逮捕投獄されたが、持ち前のしたたかさで、中世時代の後鳥羽上皇よろしく院政をしき、引退後も政界に強い影響力を保持していた。

病状は重篤である。体の半分に強い麻痺が残り、言語障害もあり口もきけなくなった。有名大学の有名教授が専属の看護婦と軽井沢に建てられたリハビリ専門の家にこもりっきりでリハビリしている様子が報じられた。

日中国交正常化交渉で知り合った中国政府の心配で中国4000年の系譜を誇る鍼の名手が来日し、巨大な中国針で治療したが効果は無い。僕はこのころリハビリセンターにいて、仲間たちと固唾をのんでリハビリの様子を見ていた。

いかに有名な専門家の指導とはいえ、一人でこもりっきりのリハビリなど効果は無い。言語障害があるならなおさら一般の病院で同病者と一緒にリハビリしていれば車いすでもカタコトの会話ぐらいはできるようにはなっただろうと思う。イエスかノーの返事さえすれば、後は周囲がなんとでもできたろうに。有名人であるがゆえに一般病棟でのリハビリはできないという事情があるので、ゆーめー人というのも難儀なものだ。

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手紙

その後僕はリハビリセンターから東京目黒の田中角栄事務所に手紙を書いた。
自分も脳出血で倒れた。今リハビリセンターにいるが出たら実家に戻って鶏を飼いそれで生計を立てるつもりでいる。その為に車を買ったり鶏小屋を作るための経費が入用なので、うまくいけば返済するので100万円ほど都合をつけてもらえまいか。といった趣旨の内容である。

たぶんダメだろうと思ってい、背はビリセンターを退所して鶏小屋作りにせいを出していたら、リハビリセンターから一通のハガキが転送されてきた。差出人は田名角栄事務所とある。内容はご期待にはそえないけどリハビリ頑張ってくださいと書いてあった。こういう下々にも親切に対応する人柄が「人たらし」と異名をとる所以なのだろうか。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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