脳卒中物語(せからしか外伝)

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35年前。リハビリ専門の国立病院にいたときである。30代の男性が大部屋に入院してきた。早速、部屋名主の吟味が始まる。新参者はなんの病気か家族構成、職歴など細かに聴かれる。総勢8名の入院患者が聴き耳を立てる。
「筋ジストロフィーです」
スモン病で10年も入院中の部屋名主が、したり顔でため息をつく、
「そりゃーやおいかんのう。筋ジスなら後で10棟に部屋替えさられるばい」
新参者の筋ジスがオイオイと泣き出す。
「これからどんどん病気が進行して寝たきりになるとでしょう…」
部屋中がシーンとなる。
頸椎損傷で手首のシビレを訴えていた、大工の野口がベッドの下に隠していた五合瓶を取り出した。
「消灯になって、巡回が終わってからみんなで飲もう」
そういうと野口は処置室へ行って検尿コップを3つ持ってきた。みなで回し飲みした。
数日後僕は医局へ呼び出され主治医の今西から退院を迫られた。
「部屋で酒飲んだでしょう…」
原因不明の病気で入院していた男が医者につげ口をしていたのである。
親父がマツダの軽トラで迎えに来たので自宅に戻った。これから自分はどうなるのだろうか不安で…。

脳卒中の後遺症も損傷部位により人さまざまである。身動きできないぐらい重篤な場合もあれば、見た目は普通で手足も動くのだが、力が入らなかったり。妙な脱力感があったり。物を持ってもポロポロ落としたり。物を押さえられなかったりする。マヒの程度が軽い場合は、ボパーズ法とか川平法とか。CI療法とかリハビリのやりようもある。

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タマキさん

しかし、麻痺が中程度以上だと本人も医療者側もどうしてよいかわからない。渋々家に戻ることになるが、家族だってこの先ずっと息子の世話をすることになるのかと腰の曲がった母親は思う。
「とうちゃん、どげんしたらよかろうかね」
「タマキさんに見てもらうか」
タマキさんというのは拝みどんのことである。中程度の百姓の老婆で、水晶の球を紫色の敷物にのせ呪文を唱えると、悪いものがとりついているかわかるというのだ。狐の霊がついていると言われた。何やらぶつぶつ祝詞のようなものを5分ほど唱えていた。
帰りしなに親父が包銭を渡そうとすると、
「いや、いらんけど…」
といいながら懐へしまった。しかし、霊験あらかたというタマキさんの呪詛も効果はない。
今度は、親父が、
「かっしゃんに頼んだけん行け」
とこういうのである。かっしゃんというのは村に二人いるアンマの片割れで親父行きつけのマッサージ医院である。家族5人をあんま一本で養っているので腕は達者なのだろう。

分回し歩行でも15分ぐらいの距離にある。かっしゃんは鍼を打ったり灸をすえたりしてしてくれたが気休めにもならない。親父は次に福祉事務所の門を叩いた。障碍者担当の内田という女史の心配でリハビリセンターへ入った。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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