脳卒中雑感

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一度死滅した脳細胞の復活は無い。そう医学界で言われている。発病から6ケ月を過ぎると麻痺の回復は無いとも言われている。その通りである。じゃあ、どうすれば良いのかというと残存機能を活用して生きてゆく術を見につけよ。などといわれる。片足片手で生活するように訓練せよ、というわけである。人間というのは面白いもので、脳の半分がなくなっても生きていけるそうで、事故で脳を半分なくしても生きている人がいるそうだ。

「療法士が神様に見える」

重い脳卒中のリハビリではトイレに一人でいけるようになったら成功と言われる。寝たきりになる人も多い。重い装具を付けてでも病院の周りを歩けるようにでもなると家族に大喜びで迎えられる。もし寝たきりにでもなったら誰が面倒を見るのか。誰が下の世話をするのかが家族会議で話し合われていたりするから、一人でトイレにいけるまでに指導してくれたPTやOTが神様のように思え、「先生々」とあがめられる。

1~2年の間は珍しがられて大切に扱われるが、

2年経ち3年経つうちに家族の空気も変化が生まれる。世話をするのがうっとおしくなるのである。そこでどこかの施設に入れようと思い始める。福祉事務所に相談に行くと身体障碍者の授産施設というものや機能訓練特化のデイケアーなどを紹介される。大きな自治体であればリハビリセンターがあったりするので、そこに入所して残存機能を強化していく術を訓練することもできる。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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