重い麻痺というのは

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どうにもこうにも始末が悪いので、PTもOTも考えあぐねて、腕を組んだまま黙り込んでしまう。とりあえず手足の屈伸などを型通りにやってみせるが、やがて自主訓練を言い渡される。当人もほぼ自分の置かれている状況をわかるようになっているので渋々と訓練に勤しむ。古い知り合いが見舞いに来て「絶対治るから頑張れ」などと根拠のない励ましを受けるが、なんの慰めにもならない。倒れた時から何度聞かされたことか。義理での慰めなんかウンザリなのだが、動かぬ我が身を振り返れば、いつなんどき人様の手助けを仰がねばならぬことを想うと、これも浮世の義理とうなだれるしかない。路傍で歩行訓練をしていると見知らぬ老婆に呼び止められて、

「若いのに可哀そう」とか「大酒の飲みだったの?」

などと根掘り葉掘り聞かれたるもする。小学生にいたっては

「おじさんの足はなんでカニのように横に出るの?猫に噛まれたの」

とか真剣なまなざしを投げかけられる。説明するのも馬鹿馬鹿しいので、

「そうだよ、大きなどら猫の大将に噛まれたんだよ」

と返したことがある。

「水泳と歩くことが関係があるのかわからないが」

しかし、水泳を始めてから歩行が楽になったことは事実だ。水泳がリハビリに良いと聞いて始めた人がいる。泳ぐのは早いし、うまく泳げるが、肝心の歩行ができない。そういう人には水泳よりも歩行訓練だろう。

医者も歩行訓練を優先すべしとの意見だそうだが、難しいと言ってさじを投げている。まだ若いのだから歩行訓練頑張れよ、と声をかけるが下を向いてしまう。こればっかりは周囲がいくらやきもきしたところで、本人にエンジンがかからなければどうしようもない。

何しろ相手は脳と人体という総合ネットワークだ。歩行のメカニズムを解き明かすのは容易ではない。これまでは人類がいかにして二足歩行を手に入れたかばかりに気を取られていた。しかし、原始人に戻ってモンキーウオークに勤しんだところで大した改善はない。

ただ片足と片手での生活に慣れただけだ。正常に近い歩行を手に入れるにはもっと根源的な生命の誕生の辺りから考察する必要があるのではないか。我々は何から始まってどのように進化をとげたのだろうか。そもそも歩行とは何なのか。脳とは何なのか。わからないことばかりである。

「体をローリングすると泳ぎやすい」

片手片足で泳いでいると、死ぬほど大変だ。最少はプールサイドに出るのも着替えるのも難儀するが、やがて慣れてくる。泳ぎもそうだ。右手1本で泳ぐのは実に大変だがやがて慣れてくる。泳いでいて思うのは体をローリングさせると泳ぎやすい。体を強引に回すと麻痺側の手足も釣られて動くのである。動くといってもごくわずかで推進力とはなりえない。水中にいるとワニや蛇などの爬虫類になったような気がする。これはなぜだろうか。そして水泳を始めて6ケ月後に、曲がらなかった麻痺足がまずかに曲がるようになった。

27年間も膝を曲げるように意識していた歩行訓練で、自然と曲がったのである。イチイチ膝を曲げることを意識していたことが無意識で曲がった喜びは大きかった。改善が進むのではないかと期待に胸を膨らませたが、そんなに甘くはなかった。ただわずかに曲がるだけで推力とはなりえず、片麻痺歩行には疲れた。それでもわずかな変化が嬉しかった。

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「原始脳を刺激せよ」

水中で体を回すと泳ぎやすいということで思ったことがある。それは人類が、まだ哺乳類になる前の爬虫類とかだったりしたときの痕跡が脳のどこかに残っていて、体を回すことで、太古の昔の記憶がよみがえるのではないか。手や足が映える前の記憶が原子脳と言われる奥底にDNAとして残っているのではないかということだ。有明海のムツゴロウが泥の上をはいずりまわっている。人類の過去にそんな時代があって、代々継承されてきたのではないか。とそんな想像をしてしまう。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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