写真でみるせからしか

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親父(山下繁吉)は若いころから気が荒く、兵隊にとられる時、落下傘部隊を志願したが弾かれて、陸軍航空隊へ配属され、通信2等兵として勤務。戦後特例で2階級特進し上等兵として復員した。
本家は次男の兄が相続しており三男の親父は菜種油を搾る仕事を始めた。戦後の物の無い時代ゆえ、油は良く売れた。

当時の村には農耕用の牛か馬がいた。どこの家でも馴染みの馬喰(家畜商)が出入りしていた。彼らは牛の種付けから子牛の売買や金玉取り(発情期に暴れるので剃刀で睾丸を摘出する)のために村々を常に訪ね回るので顔が広く、縁談の仲立ちもしていた。
「一条村の飴屋の娘さんがおらっしゃるが、アンタ家(ゲ)の油絞りの息子どんにどげんじゃろうか」
と繁蔵(祖父)へ話が持ち込まれ繁吉(父)は「牛を見せてくれ」と一条村の飴屋を訪ね渡辺フサの顔を見て気にいった。
一方のフサ(母)であるが父親(外祖父)から「当条村の山下どんな油で儲けて日の出げなぞ。いつまでもおまえば家に置いとくわけにいかんけん料簡せよ」と諭されて嫁いできた。昭和24年男の子が生まれたが、病死した。昭和25年4月男の子が生まれ「眞(まこと)」と名付けられた。その後一女一男が誕生する。

 

昭和40年高度成長の波に乗れなかったので廃業し親父はタクシーの運転手に、母は近くのカンズメ工場へ働きに出る。

母が下広川小学校の同窓会に連れて行った時の写真(右端)

下広川幼稚園(一条村)の卒園写真

下広川小学校6年生。小さいのが弟。奥にいるのが3つ上の従弟。本家の前。

ウッズメに夢中になっていた。

昭和39年広川中学校に上がる。

広川中学校

2年生に上がると自転車をこぐペダルも軽くなる。

 

修学旅行

町田のトラック荷台製造会社16歳

トランペット自動車

昌光と水源地

原型課旅行彦根城

小川清風寮

同級会19歳

5千円の赤バイ

アジトの前で、後ろはヨッシャンの車。

シャッター屋

8万円のスズフロ

成人式

当条の青年団活動

体育大会応援合戦

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当条公民館

東条公民館前 青年団長

 

広川町体育大会

 

ソフトボール大会

青年団みかん狩り

ペーさん(北川)の紹介で
車の洗車場に転職

トヨペットで点検

友達と萩へ旅行

台湾旅行

萩旅行

萩旅行

当条の公民館で友人の結婚披露宴

韓国旅行

喫茶サンラビメンバー

土木作業員デビュー

博多の人夫出しを逃げ九州自動車道曽根ICの飯場に潜り込む。

武雄バイパス工事

5万円のポンコツを買って修理と全塗装で再生させた。この車で当条のアジトから
武雄バイパスに臨時の現場監督として、片道2時間かけて通勤し難儀する。

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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