脳卒中、DQNおっさんのネットデビュー大作戦

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平成7年、西暦で言うと1995年に、ウインドーズ95が発売されるとワープロ専用機の存在は影がうすくなり、パソコン一色に染まった。パソコンには以前から興味があったのだが、英語が全然ダメなので、英文字がずらりと並ぶパソコン関連の書籍を見ただけで恐れをなしていた。

僕の英語力と言えばアルファベットの26文字の読み書きがかろうじて出来るていどである。それも大文字でないと正確に読めない。小文字になるとわからない。ローマ字は自分の姓名を書ける程度。この状態でパソコンのマニュアルを理解できるはずもなく、パソコン一色の時代が到来した事に戦々恐々としていたのである。

ワープロの操作を覚えるのでさえ大変な苦労をしていた。ワープロ専用機でさえローマ字入力が普通とされていたのに。相も変わらず僕はひらがな入力だった。初めは住所録の作り方さえわからず大変な苦労をしていた。またウインドーズ95というオペレーティングシステムさえ理解できないでいた。早い話がワープロ専用機とパソコンのどこが違うのかと言うのがわからない。

パソコンショップへ見に行ったときなどウインドーズはどこに入っているのかと聞いて若い店員から失笑された事もある。そんな僕が重い腰を上げてパソコンの購入を決意したのが1999年の9月だ。ウインドーズ95から98に移行していた。98を買うには敷居が高いので、すでに型落ちしている95のモデルを購入することにした。

ベスト電器新宮店で見つけた展示品現品限り、99800円という値段に惹かれた。机も購入し配達してもらい箱から出してもらって、パソコンラックも組み立ててもらって配線もしてもらった。電源の入れ方と切り方を教えてもらったので、自分で起動して画面を閉じることができる事に密かに興奮を覚えたのである。

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ドキドキのセットアップ

旅行から帰るとパソコンのマニュアルを読み始めた。パソコンというのはセットアップをせねばならないと書いてある。セットアップ用のフロッピーというものがあるので、それを使ってやるものらしい。セットアップというのをやっていたら途中でわけがわからなくなってパニックになってしまった。さらに手当たり次第にキーを押していたらいよいよわけがわからなくなって、とうとうパソコンはウンともスンとも動かなくなってしまった。

大いに慌てて、町内に1ケ所しかないパソコン教室に電話してどうしたら良いか尋ねると、再セットアップしましょう。その費用が5000円。自宅までの出張費が3000円ほど必要だと言われたが、了解するしかない。来てくれたのは30代の女性経営者である。彼女はアッと言う間に再セットアップというのをしてくれた。その女性が言うにはパソコンとはだいたいどういう物かがわかるには半年ほど使うとわかると言った。1年すればパソコンの機能がわかります、などという。

ワードというワープロソフトがあるというので、開いて文字の入力の勉強をせねばならない。文字入力ができないと何事も始まらない。入力設定はもちろん、かな入力である。英数文字も打てるようになったので、噂のインターネットに繋いでみようと心は躍る。弟が仕事でインターネットを使っていると言っていた。どうしたら良いか尋ねた。するとプロバイダーという物に加入しないといけないというのである。

弟の紹介で、トライネットワークというプロバイダーに申込書を送付した。月払いと年払いがあるというので、年払いを申し込み18000円を振り込んだ。3日後に封書が届いて開けてみるとA4用紙3枚に接続設定の方法が書いてある。設定画面を開いてマニュアルに従って英数文字を打ち込んでいく。

だが途中でマニュアルとは違う画面が出てきてパニックになる。頭が混乱してわけがわからなくなっているので、しばらく時間をおいて、落ち着いてから、最初からやり直すのである。するとまたつまずくのでまた一からやり直す。そんな事を延々と夜ふけまで繰り返していると眠くなるので布団に入る。しかし、パソコンが気になって眠れない。どこが間違っているのだろうと、アレコレ考えていると、そのうち眠ってしまう。

次の朝起きて今日こそインターネットに繋いでメールというものを体験するぞと気合を入れる。設定画面を開いて作業をすすめるのだが、どうしてもうまくいかないので、もう泣きたくなる。しょうがないのでトライネットに電話して教えてもらうのだが、片手しか使えないので相手が言う事を覚えて、受話器を置いて文字を打ち込む。それの繰り返しである。ものすごい時間と電話代がかかって、やっとメールの設定が終わった。

ヤッホー

自分で自分のメールアドレスに送信して受信できればメール設定完了である。ポツリポツリと自分のメールアドレスを打ち込んで件名も本文もテストと打ち込んで送信ボタンを押す。数秒待つ…、あ、届いた。おお、これが電子メールという奴か。中卒で重労働者の俺でもインターネットができるようになったぞ、どうだ。と言いたいような満足感を味わった。

メールが出来るという事はインターネットに繋がったということである。そもそも、インターネットと言う物が、どういうものか良くわからない。ホームページというものがあるらしいが、本物を見た事が無いのである。マニュアルに書いてあるようにブルーにeのマークをクリックすると良いらしい。で、早速クリックするとYahооと書いてあるページが開かれた。しかし、Yahооが読めない。これはなんと読むのだろう。

ヤホオだろうか。否、ヤッホーかも知れない。待てよ、パソコン雑誌ではヤフーと書いてあったと思うのだが。型落ちのパソコンを入手し、連日ああでもないこうでもないと、マニュアルをみながらやっていると、本と違う画面が出ると元に戻れないとパニックになってしまう。で困った時はカスタマーサポートセンターへ。と書いてあるので電話してみるけど、いつも話し中でなかなかつながらない。

平成11年2月、

しどろもどろながらもようやくインターネットデビューを果たし、ホームページや掲示板を見られるようになった。あちこちにメル友募集の掲示板というものがあり、若い人たちの交流の場として賑わっていた。しかし、掲示板の使い方がまったくわからない。ただ他人の書き込みを読んでいるだけだった。パソコンの操作もぎこちなくて、とても他人にパソコンを使えます、と言えるレベルには無い。操作を間違えると元に戻す事ができなくてパニックになってサポートセンターに電話する日々に明け暮れた。

NHKで朝の情報番組を見ていると、脳卒中で片マヒになった人たちがインターネットを使って交流している様子が放映されていた。東京在住の50代男性が運営するホームページも紹介されていたので覗きにいった。闘病記が掲載されていてリハビリの様子が詳細に綴られていた。他にも同じ脳出血や脳梗塞で片マヒになった人のサイトにもリンクが張られていて、そこでも個々の闘病記が掲載されていた。リンクを辿って行くと、大分の人が運営するホームページにたどりつき、メーリングリストなるものの存在を知った。

「電子メールを使ったインターネット活用法のひとつで 複数の人に同じメールを配送できる仕組みのことで、略してМL」と説明されていた。なんのことかよくわからなかったけど登録を試みた。初めての事なので恐る恐る文字入力をした。この大分のМLでネットの世界の概要を学んだ。

メーリングリスト

МL仲間のホームページを夢中になって読んだ。自分もこのようなホームページを作りたいと思うようになった。どうすればいいのかと思ってパソコン雑誌を買ってきて読んでみる。どうもホームページを作る専用のソフトウエアーというものがあるらしい。パソコン雑誌に、しきりに出てくるソフトというのは実のところ、良く理解できてなくて。このころになってやっとある物を動かす装置だというぐらいはわかるようになってきたが、日本語で説明せよと、言われればわからない。とにかく買いたい気持ちはあせるのでパソコンを購入したベスト電器へ出かけた。

店員に聞いてみると、ホームページビルダーというのが初心者には良く売れているといって、そのホームページビルダーという物が入った箱を出してくれた。箱には

「ワープロ感覚で簡単に使える」

の文字が大きく書かれている。おお、ワープロなら多少は使えるぞ、と思って購入した。自宅に戻って箱から出して分厚いマニュアル本を読み始めたが、ワープロ専用機とは比べ物にならないぐらい難解で頭を抱えた。まず、CDを入れてインストールというものをしなければならない、とあるのでCDをパソコンに押し込んだ。

すると突然、ウーンという音がし始めた。もう吃驚して壊れたのではないかと心配になったがやがて音が消えると四角い小さな画面が現れた。続行という文字が出たのでこれをクリックした。それから2度ほど次へというメッセージが出たのでクリックするとインストールが完了しました。というメッセージが出た。こうやって導いてくれる仕掛けだとわかった時は、その仕掛けの素晴らしさに大いに驚かされた。

ホームページビルダーというソフトウエアーのインストールに成功し、ほっと、したのもつかの間である。ワープロ感覚で簡単に使えるというフレーズを信じた自分が甘かった。非常に高度な機能を備えていてワープロ専用機をいらえるぐらいの知識では手に負えない代物だった。A―4用紙にタイプするようにはいかない。マニュアルを読んでも理解できないし、指示通りに操作しても本の通りにはならない事ばかりである。で再セットアップを頼んだパソコン教室を訪ねてホームページビルダーの使い方を教えて欲しいと頼んだ。

1時間3000円の授業料を払って若い女の子にビルダーの概要と称する授業を受けた。家に戻って自分のパソコンでやってみるけど授業で覚えた事をすっかり忘れてしまっている。ほんの1時間前に習ったばかりだと言うのに。それに若い女の子の授業はわかりづらかった。

本人がやっと使える程度のレベルだから素人に教えるには無理があったのだろう。他人に教えるには相当な知識が無いと無理だとわかった。それで教室に電話してもっと上手に教えてくれる講師はいないのかと尋ねると、ワードや一太郎ならいるけど、ビルダーが使える講師は若い女の子だけだと言うのである。どっか他にいませんかと更に聞いてみた。

「そうだ、菅原さんなら、あの人はパソコンに相当詳しいからビルダーが使えるかもしれません。彼にはうちが忙しい時、臨時の講師をお願いしているんですよ。電話番号を言いますから一度かけてみてください」

で。早速電話をかけて日時を決めて菅原さんに自宅まで来てもらう事にした。優しい丁寧な話し方で、いかにもインテリっぽい感じの40歳ぐらいの男性である。教え方も丁寧で表の使い方も教えてくれた。しかし、授業料は1時間6000円も取られた。続けて教えて欲しいけど6000円はちょっと、と思案していると、

「直接僕に連絡してもらえれば4000円でいいです。本当はこんな事はいけないのですが、2回目だからいいでしょう、但し、教室には内緒にしておいてください」

菅原さんにはわからない時にはサポートをお願いすることにして、一人でボチボチと練習を始めた。

最後に

昔書いた原稿だけど当時の様子がわかって面白いので投稿することにした。パソコンのメモリが32MBだった。よくあんなものでインターネットで使えたと思う。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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