水泳を始めた理由は、腰痛で身動きができなくなって。

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<水泳>
僕の場合、視床下部出血なので特に興味があった。自分も欲望だけでいきているみたい。高度な思考力は無い。単純作業とか重労働専門だったし。水中にいるとトカゲやワニになったような気持ちになるのがわかったような気になる。最近、足に感覚がもどりつつあって、魚のヒレのように感じる。

手足は元々ヒレが発達したと実感できる。水中に潜っていると視床下部の奥深くに眠っているDNAが水中にいることで太古の記憶を覚醒し、ヒレのネットワークを形成しているのかもしれない。手足の麻痺の改善には運動神経と知覚神経の両方が改善しないとイケナイ。動きだけあってもダメなのだ。

これは体験してみないと実感としてわからない。水泳は脳卒中のリハビリにとても有効だと実感する。ただし、片麻痺で泳ぐのは死ぬほど苦しい。毎回さぼることばかり考えてしまう。しかし、疲れが取れるとまた泳ぎたくなる。だって35年も何も感じなかった足にわずかでも感覚を感じるのだもの。おかげで上がらなかった足も上がり、反張もずいぶん改善した。
脳というのは面白いもので空想と現実の区別ができないからオナっても気持ち良くなれる。人体は不思議の固まりだ。これほど面白いものが我が身にあるとは気づかなんだ。

肩と腕境界辺りの耐えがたい痛みも水泳をしていたら解消した。一時は、博多の整体へ通う決意をし、予約を入れたが、1回5000円の費用の捻出は大きく、断念した。骨盤矯正はほんの5分程度で終わる。後は軽くマッサージをするだけ。

53歳ぐらいから腰痛が始まった。最初はマッサージにいけばなおるだろう。軽く考えていた。しかしどんなにマッサージに通ってもいっこうに治らない。何か他の病気かもしれない。そういう思いがして最寄りの整形外科を受診した。院長は脊髄の専門医である。業界でな公明らしい。問診から始まって、次は腰のレントゲンとMRIの撮影。椎間板がうすくなっている。しかし、すぐに影響はないのでので、リハビリで様子をみましょうと言われて物量室へ回された。

低周波の治療とかホットパックとかをしばらくつづけたが改善はないので通院を止めた。代わりに整骨院へ通いだした。電気鍼治療だ。3年ぐらい続けたが改善はみられない。その他にもいろいろな整骨院や生体とかマッサージにも通ったが改善はみられないどころか動く方の右手と肩に痛みが出てきた。

どこにいっても治らないのでネットで検索して見つけたカイロプロティックの門を叩いた。施術師は若かったが、手の痛みは1回で治した。どこかの筋が張っていたのでそれを緩めただけという。腰痛も治してもらおうと通院したが、改善はみられない。脳出血の後遺症でカタマヒがあるので、その影響で1本足歩行になっている。

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4番腰椎付近が痛い

そのために腰椎の4番~5番辺りに負担がかかり、これが後遺症でしょう。そういわれると返す言葉がみつからない。実際その通りだから。手の痛みは取れたけど。背中の異様な張が現れわずかな距離を歩くのさえ疲れて座り込みたいほどであった。腰痛に背中の張。これは下手すると歩けなくなるかもしれない。そう思ってセニアカーの購入に踏み切った。

痛くて辛いときは整骨院かマッサージでしのいでいたが、ある日、水泳が腰痛に良いということをテレビか本で読んだ読んだことを思い出して、古賀市にあるクロスパル古賀という健康文化施設へ通うことにした。そういういきさつで始めた水泳である。不安があったがプールに入って泳いでみると、なんとか25メートールは泳げた。子供の頃泳いでいたので泳ぎへの抵抗感は薄かった。

骨盤矯正をしたところで、その場では治るが、しばらくすると元の木阿弥だ。施術師は姿勢が悪いから背筋を伸ばせという。それはその通りだろう。机に座ってパソコンばかりいらっていると姿勢も悪くなる。おまけに片麻痺があるからなおさらだ。知らないうちに体が傾いている。足の突っ張りも強いので、歩きも猫背になる。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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