片麻痺で失くしてからわかるもの

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満足に歩けない者にとっては、普通にあるけるだけでも夢のようなハナシである。両手で普通に茶碗を持って御飯が食べられる。それだけでも素晴らしいことだ。だから障碍者にとって子供から高齢者までのすべての健常者は雲の上の人に見えてしまう。

私はブスだから男にモテない。俺は不細工だから彼女ができない。学歴やコネがないので正社員になれない。そう嘆く人がいる。しかし、普通に歩けて、普通に両手が使えることだけでも大変な価値がある。

しかし、普通に生活できるだけで、それが大変な価値を持つことに気づかない。病気やケガで身の不自由を味わってから初めて実感できることなのだろう。勉強しないと将来大変なことになると言われても、その時は勉強なんか面倒だからいいやと放置して、歳月が過ぎて知識を持つことの大切さを実感するようにならないとわからない。

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失くして初めてわかるものかも

人は大切なものを失くしてこそ、初めて物事の大切さを感じられるものかもしれない。幸せとは失くして初めてわかるもの。物事に失敗して、過去を振り返り、ああ、あの頃はよかったなあと回顧する老人のように。

しかし、失くしてからでは遅い。もっと早くに気づく方法はないか。古より先人たちが散々に追求してきたが、そんなものはどこにも存在しない。我々凡人の浅知恵ではどうにもならない。まず、つぶれないだろうと思われていた大企業が市場から消滅し、世界的な巨大企業でさえ、時代の波に飲み込まれている。まさか、あの企業が。と言われる会社がいつ淘汰されてもおかしくない状況に追い込まれている。

こういう事例が世界中で起きている。これが今ささやかれている第4次産業革命と言われる時代の変革と言うものであろうか。世は知識社会へと移行し、知恵のない者は生き残れないとさえ言われた。近未来予測者といわれる人々の意見だ。

今後ともテクノロジーの進歩は加速するばかりだろう。つい、この前出現したと思ったスマートフォンがあっという間に世の中を席巻した。小さな子供が、ごく当たり前にスマホをスワイプしている。ITなど無縁と思われた高齢者でさえスマホをたどたどしくはあるが画面で指をすべらせている。スマホはおろかガラケーさえ持たぬ僕は取り残され感が半端ない。

最後に

元気なころはあんなに嫌いだった親父の事が亡くなってみると妙に懐かしく思える。子供の頃は、何かと言うとすぐに声を荒げ母を罵倒し、こんなもの食えるかとちゃぶ台をひっくり返す父親であった。幼心にどこかへ行ってほしいと願ったこともある。父が死んで母が亡くなると、荒々しかった父のことが歳月とともに懐かしく思えてしまう。

父の事を良く知っている。姪っ子からジィーちゃんにそっくりと言われた。加齢とともに死んだ父親としぐさまでがそっくりになっている。それはまるでコピーしたかのようである。パソコンもスマホも何もなかったけど。田舎の片隅の小さな家で、妹や弟と両親と僕の家族5人がひしめき合ってくらしていたころが幸せだったのかもしれない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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