これから先どうやって生きて行けばよいのだろうか。

スポンサードリンク


筑後の国の故郷の村では同級生が10人いました。毎月1回どこかの家に集まって夕食を共にするのです。米1合と会費を持っていかねばなりません。米はその日の夕食に。会費は農協で子供貯金です。15歳になると豊前の国の山伏修験道で有名な彦山へ詣でるのです。戦国時代から脈々と受け継がれた風習です。

その途中に久留米の原ん古賀というところで、遊郭に上がり村の若衆たちは漢になったそうです。まあいわば農民の元服ですね。15歳から~20歳ぐらいになると戦の時は領主に駆り出されて、錆び槍持たされて従軍せねばなりません。そういう伝統の流れで同年代はトモダチと呼ばれて強い絆で結びついていました。水害や農作業の繁忙期には手伝ったりもしたそうです。

僕らが子供のころ(昭和30年代)まではかすかに風習も匂いとしてあったのですが、昭和40年頃から日本でもモータリーゼーションの時代となり、農村の暮らしも一変しました。バイクや自動車の普及で、好きな時に好きな場所へ行けるので若衆たちは街のネオンを見ないと寝付かれなくなり、久留米の繁華街へ足繁く通うようになり、その費用捻出のために、正勝っちゃんは、なすびやサツマイモの代金を流用して親にみつかり大激怒されたりしました。

スポンサードリンク

わからない

自動車の登場で農村の暮らしはたちゆかなくなり、今またインターネットとAIの登場で、良い学校を出て大きい会社に入れば一生安泰という思惑も通用しなくなってきているように感じます。便利な車社会のツケで地球規模の天候の変化に見舞われ、これまでの価値観は通用しません。これから先の時代をどのように生き延びて行けば良いのだろうか。
毎日毎日考えるのですが、どうしたら良いのかさっぱりわかりません。きょうもまた激しい雨音がしてきました。

The following two tabs change content below.
まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

まこっちゃん

最新記事 by まこっちゃん (全て見る)

スポンサードリンク