麻痺が治って、どうやって飯を食うか

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突然片麻痺が治って、見た目健常者になったとします。それでも90%ぐらいの回復で、幾分かの不自由さは残り健常時には戻れません。でも、見た目普通に見えるので、知らない人が見たら怠けていると映るでしょう。努力が足りないから仕事にもありつけない。とか散々思われそうです。単純な軽作業などはできるはずだ。そういう思いもあります。また人の嫌がる仕事なら頑張れば可能だろうか。しかし、そういう仕事は外国人が集中しています。街には若い外国人労働者が多くいます。単純作業の分野で、贅沢に慣れたひ弱な日本人の入り込む余地は、ありません。そういうことを悶々と思います。

麻痺が治れば健常者なので障害年金は支給停止となります。障害者手帳の恩恵もありません。障害者医療証や税制面での優遇が全てなくなります。医療証があれば病院代の負担もわずかで済みます。食べていくには一生困りません。そういう恩恵を捨ててまで麻痺の回復にこだわる必要があるのだろうか。高価な自費リハの負担に何年も耐えて出費を続けても多少の改善はみられても、完全に治ったという人の話を聞いたことがありません。

何年もの時間と費用を費やして健常者に戻れたとして仕事はどうするのだろう。そう簡単に仕事が見つかるとも思えません。仮に一般就労できてもいつかは会社を辞めればなりません。AIなどで変化の速い時代です。大企業だっていつ倒産してもおかしくない。そもそも、一度大病を患うと、ある人事担当者によると雇用する側も敬遠するそうです。大きい病歴のある人よりも何もない人を選ぶのは自然な事です。

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最後に

障害年金は少ないですが、死ぬまでもらえるので、安定性は抜群です。なのでとても安心ですね。ただ、不自由さは残りますし、世間からの蔑みにも耐えねばなりません。ただ、これらの事には慣れることで対応できます。麻痺を治して健常者となり一人前の納税者になりたい。このまま障害者でいいや。色々な事が脳裏をよぎります。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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