リハビリの難しい所は、

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片麻痺のリハビリで難しいのは自分に合ったリハビリの方法をいかにして見つけるかであろう。同じ麻痺でも人により違いがある。なので自分が治ったから努力すればあなただって治ると言われてもそうとはならない。しかし、治った人の意見というのは、文字だけで覚えた知識と違って非常な説得力がある。ただ、脳の中は人により違いがあるのでなおさら難しいように思う。

リハビリの入り口を間違えるととんでもない遠回りをしてしまうものだとつくづく感じる。重い麻痺になるとセラピストも手の打ちようがなく、関節の固まりを防ぐ程度の指導に終始してしまう。僕も自主訓練するしかない状況に追い込まれた。ひたすら麻痺足を上げて歩く訓練に明け暮れた。しかし、麻痺足を動かそうという訓練を10年やっても20年やっても変化はない。

変化を感じたのは水泳に取り組み始めてからである。微妙に歩行が楽になり足の感覚の戻りも感じるようになった。かといって裸足でスタスタあるけるようになったわけではない。ただ持久力は付いた。毎日泳いでいるので心肺機能をフル稼働させても大丈夫だ。何かの災害で避難所暮らしを余儀なく成れるようになった場合、我慢強さがいると思う。

僕の場合は麻痺の改善にこだわるよりも、麻痺した体でどうやって暮らしていくかに重きをおいた。難しい理屈はわからないので、片手片足で生活のすべてをこなせるようにした。発病当初は34歳で独身だったのでリハビリよりも女を探す方に重きを置いた。病院には女が多い。男ばかりの飯場暮らしの身からすれば、女の花園に降りたようで、内心は嬉しかった。

PTやOTの品定めに始まり、看護師から料理場の職員にまで吟味はおよんだ。OTの由美子先生は連れて歩くには見栄えが良いだろう。しかし、こういうインテリと一緒に暮らすと、夜の生活はどうなるだろう。とにかく男という生き物は床急ぎをするものである。意識高い系の女と所帯持つよりも現実的な調理場の女などの方が楽ではないか。などなど密かに想像をするのだった。

話が横道にそれた。元に戻す。リハビリだ。麻痺足を繰り返し動かしていればいずれ楽になるけるようになるのではないか。そうやって日々反復練習に明け暮れるわけだが焼け石に水だった。麻痺した体で泳いでみるとわかるのだが、人の体は手足が連動して動くようにできている。なので体全体を使わないと4本の手足がうまく連動しない。連動させることで感覚の戻りもあるのではないか。

水泳をもっと昔から始めておけばよかった。と思う次第であるが、他人に進めようとは思わない。なぜか。死ぬほど大変だからである。それに恐ろしく時間もかかる。色々な人の体験談を参考に自分なりの訓練方法を編み出すしかないのが現状のような気がする。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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