脳卒中で片麻痺、一人で飛行機に乗って東京へGO

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2008/06/

福岡空港第二ターミナル、スカイマークの受付コーナーに並んだ。まだ早いので混雑も無くスムーズに自分の番が回ってきた。受付嬢に予約番号を伝える、

「スカイマーク004便9時05分福岡発羽田10時40分着でのフライトでございますね。帰りが021便羽田発17時25分発 福岡19時55分着の便で予約となっております」

「はい、そうです」

「障害者割引をご利用という事でございますので、往復24000円になります。帰りの便のお支払も現金で一括ということでよろしいでしょうか?」

「ええ」

「恐れ入りますが障害者手帳を見せていただいてもよろしいでしょうか」

いつものように身体障害者手帳1種2級を差し出した。受付の女の子は障害の種類と等級を確認すると、

「はい、ありがとうございます。座席は窓側通路側どちらになさいますか?」

片マヒがあるのでトイレに立つ時を考えると通路側が便利だ。今日は晴天で絶好のフライト日和になるだろう。綺麗な富士山が見られそうだから窓側を頼んだ。

「はい、それではA2をご用意させていただきます。私たちに何かお手伝いできることはありませんでしょうか?」

「介助はいりませんが、優先搭乗にしてもらえますか」

「はい、わかりました。それでは出発の20分前には搭乗口までお越しください」

チケットをもらって搭乗口へ行くとショルダーバッグから携帯、小銭、デジカメを取りだしてトレーに乗せ、係員に渡すとトンネルになった機械の中を流れてゆく。次は別の人から体をチェックされ、手荷物検査が終了してやっと中に入れる。スカイマークの搭乗口は一番奥にある。出発まではまだ時間に余裕はあるが、何をするにも時間が掛る。常に早目な行動を心がけるようにしている。

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オフ会

何をしに東京へ行くかと言えば、脳卒中で片マヒとなった人たちとの交流会に参加するためだ。普段はメーリングリストで交流し、時々現実の世界で顔を合わせる。これをオフ会と呼んでいる。普段はメールの中だけのお付き合いなので顔も知らない。実際に会うというと異様に盛り上がる。リアルな世界では初対面でも毎日メールで会話しているので初対面という緊張感は無い。会って直ぐに旧知のように会話も弾む。会員は日本中にいるので交通アクセスを考えるとオフ会の会場は東京に設定するのが便利だ。北海道、九州方面の人は飛行機で。関西や東北方面は新幹線利用で駆けつける。集合場所は東京駅丸の内南口にある障害者用の待合室だ。通称小屋である。じやあ、次回の東京オフは11時小屋に集合、これで意味が通じる。ここには車椅子トイレと椅子があるので障害者には安心な場所だ。

「スカイマーク002便東京行きは、ただいまより搭乗手続きを開始します。尚、ご高齢の方、小さなお子様連れの方、妊娠中の方、お体のご不自由な方を最初に機内へとご案内させていただきますので、予めご了承ください。次に後方座席の方をご案内し、最後に前方座席の方の順番となっております」

車椅子に乗せられた高齢者と幼児を抱いた親子連れが先に案内された。彼らの後に続いてボーデンブリッジを通って機内に入った。A2の座席は入って直ぐだから簡単に座席に付く事ができ、右手でシートベルトを引っ張って、口でくわえると右手が開くので後は普通に留め金具に差し込めば良い。やがて順次人が機内へと流れ込み全員が座席に着いた。客室乗務員が緊急時の救命具や酸素マスクの使い方を説明する。片手でどうやってマスクやライフジャケットを付けたらいいかと一瞬不安になる。やがて、ボーイング737はタキシングで滑走路へ移動し、管制塔からの指示待ちで一時停止する。しばらくすると、ポーンというチャイムが鳴り、

「いつもスカイマークをご利用いただきありがとうございます。まもなく当機は東京羽田へ向かって離陸を開始いたします。東京の天気は晴れ。本日の風向きは追い風で、到着予定は定刻より少し早い10時30分を予定しております。気流の乱れも無く、絶好のフライト日和です。みなさま、快適な空の旅をお楽しみください」

機長の挨拶が終わると翼端にハートマークの付いたボーイング737はゴォーという音と共にエンジンを猛烈に加速させ、滑走路の中央ぐらいでドカンという音をさせる。フワッと機体が浮いた。ゴォーという音とともに機体は急角度で上昇を続ける。眼下に見える福岡の市街地がみるみる引き離されてゆく。しばらくすると機体は水平飛行に移る。うつらうつらとしながら座席にもたれていると色々な事が頭をよぎる。

自分が34歳で、脳卒中を患い左半身不随になるとは考えもしなかった。一人では動く事すらままならない。病院のベッドの上で砂をかむような絶望感に打ちひしがれていた当時を思うと、まさか自分が一人で飛行機に乗って東京へ行けるようになれるなんて想像すらできなかった。これからは何もかも諦めて、世間の同情をもらいながら生きる事になるのか。そんな砂を噛むような思いであった。

どうして自分は若くして脳卒中を患う事になったのか。沖縄の工事現場で仲間の土工や型枠大工らと車座になって、お昼の弁当を使っていた。突然左の眼が暗くなり、これまでに体験した事のない気分ちの悪さを感じた。横になるともう一人で立ち上がれなかった。救急車で浦添の病院へ搬送された。故郷の福岡県広川町の病院へ転院して永いリハビリ生活が始まる。簡単には語りつくせない様々な事を体験する。

最後に

土木作業員という仕事は昔、土方、人夫、日雇取りなどと蔑まれ、肉体労働者層の間でも好まれる職種ではなかった。その理由はキツクて辛い重労働である事、危険だという事。だからと言って高給取りというわけではない。単純労働なので健康な者なら誰でもできる。大工や左官と言った技能職でもない。工場に出たり店員になったりはするが、好んで土木作業員になろうとする者は皆無ではないが、滅多にいない。いるとすれば何かの事情があって過去をあまり詮索されたくない人たちだ。それと短期のアルバイトで来る人はいる。

姉妹サイト片麻痺と暮らしへGO

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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