脳卒中で片麻痺者、にわか立候補への誘惑

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2003年3月上旬。

腰痛と足ひざの痛みで、近くの田中外科へ電気鍼治療に通っていた。

「今度の市議選は、無投票になるらしか」

そんな声が物療室の待合でささやかれていた。

「はい、次の方どうぞ」

鍼灸師の丸山先生に促され治療台でうつ伏せになった。

「山下君選挙に出らんね、無投票げなばい」

「選挙ねえ…」

3月20日。

午前8時30分。地元商工会運営のホームページを閲覧中に興味を引く投稿を見つけた。

「古賀市議選定数20議席に立候補予定者18」の新聞報道あり。本日、午前九時から立候補予定者説明会。

ふっと行ってみたい衝動にかられた。電話の受話器を取り、市の総務課の番号を押した。

「はい、そのような新聞報道がなされています」

「今から説明会に行ってもいいですか」

「はい、どうぞ」

団地から市役所までは500メートールほど。大急ぎで説明会場へ行った。

市議会議員というものが、どういう仕事をするのか詳しくは知らない。世間では、暗黙の筋書きに沿って、たまに質問をするだけ、などと誠しやかに囁かれている。

だから、

「お前でもなれる」

鍼灸師の丸山先生が、鍼治療に行くたびにネジを巻く。

自分が選挙に立候補するなんて、本気で考えたことがなかった。でも、無投票という文字が頭をよぎり大いに心が揺れた。

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供託金とは

立候補予定者の顔ぶれを見渡せば、その辺にいる普通の人。これなら僕が出ても変ではないと思えるようになった。しかし、こういうものには学歴の制限があるかもしれない。高卒以上にでもなっていればアウト。中学を出てずっと工員や土木作業員といった日雇取りの道しか知らない。これでは市会議員にはなれないのだろうか。そういう不安を抱えて、統一地方選挙の手引きという本を紐解いた。最終学歴に制限があるという記述はどこにも見あたらない。

選挙に出るには金を積まねばならず、ある程度の票を取らなければ、お金は没収されるというような事を聞いた覚えがあった。この点についてはどうだろうか。本によれば、立候補しようとする者は、現金又は、これに相当する額面の国債証書をあらかじめ供託しておかねばならないとある。なお、選挙の結果、当該候補者の得票が法定の一定得票数に達している場合には、当落に関係なく供託金は返還される。じゃあ何票取ればお金が戻ってくるのかというと、古賀市の場合、130票ほどになる。

30万円の供託金と立候補届出用紙に不備がなければ立候補できることになる。選挙事務所は自宅とし、街頭宣伝は一人で歩く。後はポスターを80箇所の掲示板に張るだけ。ポスターがいくらぐらいかかるのか業者に電話で聞いてみると、20万円から9万円までと返事は様々、ポスター原稿を自分で作れば9万円で良いとの業者に頼む事に。ポスターは自分のパソコンで自作すれば良い。最低で40万円あれば立候補は可能だとわかった。自分のヘソクリが10万円ある。供託金の30万が足りない。妻に選挙に出るから30万円を貸してくれと相談した。

「何で急に。選挙なんか恐ろしかけん、止めといて」

ニベもない返事が返ってきた。この時期になると立候補への気持ちが次第に高まっていた。

もうとまらない

ネットで知り合った女性料理研究家のホームページで、自慢げに市議選に出る旨の書き込みをした。するとオーナーからボロクソにこき下ろされショックを受けた。

「貴殿の短気な性格と貧しい知識では市会議員は務まりません。貴方の為を思って、あえて苦言を呈します」といったように諭された。しかし、僕の気持ちはハイテンションに達し、選挙という権力闘争の場へ挑むという男の血潮が騒ぐのを抑えることが出来なくなっていた。ネット上でエキサイトした文章を送った。それにまたオーナーが反発するという醜い事態に発展していった。

ついにはその人の子供から

「貴方は中卒で英語も分数も出来ないと自分で言っている。子供から難しいことを質問されたら困るのは貴方です。立候補はやめた方がいいと思います」

などと小学生から意見されたときは落ち込んだ。顔見知りの障害者からはこんな風にからかわれた。

「家族の数しか得票できんかった人がおるばい」

ある人はこう言う。

「100票もとれんじゃろう。せいぜい取れて50票ばい。馬鹿なことは止めとかんね」

男の血が騒ぐ

再度妻に聞いても、首を横にふって黙り込んでしまう。生活費は自分の障害年金でまかなっている。妻が負担するのは公団住宅の家賃だけである。カミさんは働き、そこそこの収入がある。妻の稼ぎは妻名義で貯金をしているのでだ。だから40万円の選挙費用を出してもらっても罰は当たらないと思った。そもそも選挙に出るということが、そんなに悪い事だろうかという思いが次第に強くなっていた。

「選挙に出るなと言うのなら、離婚も止む無し」

の決意を伝えると妻は渋々頷いた。が、選挙の手伝いは一切しないとニベも無い。

全部一人でやるつもりだった。でも、片手しか動かず、ポスター張りがどうしても出来そうにない。故郷の弟にメールを打って、ポスター張りの加勢を頼んだ。選挙の告示日は雨になった。ポスターの裏に両面テープを張り、それを80箇所に張り終わったのは夕方の7時半だった。

次郎君の憂鬱

28歳の次郎君とはにわか立候補者同士で気が合った。彼は、経験豊富で、此度も立候補した正雄さんの使い走りをしていた。今回の選挙が無投票になりそうと聞き、立候補することにした。しかし、正雄さんは反対したと言う。次郎君の両親は熱心な正雄信望者だった。親戚の者が後援会長も務めていたという。正雄さんの集票力は3000票と、巷の噂がしきりであった。1000票で楽々当選できる。正雄さんと師弟関係にある次郎君は票を回してもらえるので当選間違いなしというのが、街の噂であり、本人も自信を持っていた。

結局、定数20に対し23人が立候補した。一週間後投票が行われた。最下位の当選者は599票。僕は277票をもらったが、甘くない現実を知らされた。正雄さんは両手にこぼれるほどの票を獲得した。僕を含めて3名のにわか立候補組は古参組から見事に撃沈された。次郎君は大きな期待をしていたようで、顔面蒼白になり拙宅に現れた。二人で浜辺の喫茶店に行き、互いの落選を慰めあった。次郎君は正雄さんの支援を受けるどころか嫌がらせを受けたと語った。

 

僕は次郎君の話を聞き、正雄さんのやりように反発し、インターネットで批判した。これを正雄さんの側近が知り耳打ちした。正雄さんは激怒した。名誉毀損で僕と次郎君を訴えると息巻いているという。僕は、正雄さんの選挙事務所へ出向き、頭を下げたが正雄さんの怒りは収まらなかった。

「批判の文章を捏造した」

とネットで謝罪せよと要求され、不本意だったが呑まざるを得ない。そうしないと若い次郎君がやっている不動産業に支障が出るというのである。後日市役所へ出向いて選挙の費用に関する報告書を提出し、選挙の得票証明書をもらった。そしてこの証明書を持って福岡法務局へ出かけた。ここで供託金を返してくれるのかと思ったらそうでは無い。小切手をもらって日銀で換金して妻に30万円を返した。

最後に

選挙とは戦国時代でいうなら合戦である。各地域の利害関係が複雑に影響してくる。そんなところへ脳卒中の障碍者がのこのこでていったわけだが。議員になるということは統治者側になるということである。そうなると世間の反応がまるで違ってくる。障碍者が選挙に出るのは荷が重すぎる。色々と勉強にはなったが自分の考えの甘さを思い知らされた。

ちょっとばかり才能があると思って政治の世界に色気を出すと世間様のお叱りを受けることになる。政治家になるということは統治する側になるということだ。権力者を目指すとなると話は全く違ってくる。ほどほどの所で手を打って、腰を低くして道を歩くように料簡した方が良いだろう。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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