コケコッコー大作戦

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昭和63年4月

設計図も何も無い。すべておうまん(適当)である。実家のネギダレ(軒下)に置いてある廃材を集めて鶏舎作りにかかった。猫の額ほどの空き地に基礎にするコンクリートブロックを四隅に埋める。ブロックの穴にちょうど良い丸太を差し込んで4本の柱を立てた。これに梁で4本の柱をつないで、トタンを被せて周囲を金網で囲い、出入り口と給仕口を作れば良いのだが、これが想像を絶する作業になった。

装具をはいてブロックを運ぶだけでも大変な労力を必要とした。片手でブロックを持ち上げるのは、土工だからお手の物だ。しかし、ブロックを片手に下げて歩き始めると麻痺足が内反してしまう。健側の右足に体重を乗せ左の麻痺足は子供自転車の補助輪のような感じで慎重に慎重に歩を進めた。麻痺足を上げると足の裏が内返りをするが、着地すると緩むのであるからなんとも不思議だ。

梁と柱を釘で止めることがどうしてもできない。柱と柱に梁を乗せて釘打ちすることが、一人だと難しいのだ。これはたとえ、両手が使えたとしても不可能なことなので、一方を母に押さえてもらって固定した。

金網張り、戸口の建てつけ、鶏が餌を食べることの給仕口など、一人ではどうしても出来ない所の造作は、当時付き合っていた今の妻が休みの日に手伝きた。当初ひよこを入れていく育すう箱も作らねばならなかった。

5月には鶏小屋も完成

申請していた障害年金の受給も決まった。初回金の振込みがあったのでこれをはたいて軽トラックを購入した。車がくると、ちかくの孵卵場でひよこ20羽を入手し、さらに50羽を追加し育て始めた。

 

鶏を20羽から70羽に増やしたので鶏舎の拡張工事をした。午前11時ごろになると巣箱に入って卵を産む。

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運動場

1999/04/10

サンコスモ古賀/在宅障害者向けの機能訓練教室に参加した。みんなで何かやりたい事はないかと市の担当者が言うので、西瓜を葡萄棚に成らすのをやってみたいと提案した。他に意見がないので、とりあえず、市の意向を問うてみると了承された。サンコスモ古賀の裏門外にわずかな空地があるのでここを菜園にする事にした。空地のそばを幅2メートールほどの水路があるので、これに人が落ちないようにコンクリートの蓋がなされた。この費用は100万円ほどかかったと聞いた。
水路に蓋がされると用地の開墾をボランティアの手を借りて始めたが土が硬くて鍬が立たない。一同、途方に暮れていると宮本係長が2tダンプ1台分のマサ土を手配してくれたので広げて堆肥も入れ表土とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

FBSめんたいワイド収録

機能訓練教室は厚生省の若年性脳疾患者の機能訓練事業であって、そのモデル事業として古賀市が選ばれた。よって2000年3月で終了。以降は自主的なサークル活動としてするよう話があった。
行政主導の教室は解散されたわけだが、引き続き障害者サークル活動の一環として養鶏に取り組んだ。

近くの保育園から先生が、
「まぁるいたまごがパチンと割れて中からヒヨコがぴよぴよぴよ」
と歌いながら見学にやってくる。

親鳥の背中に乗るひよこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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