脳卒中、意外と簡単、ここまできたのに、もったいないと禁煙に成功。

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僕は34歳の時脳内出血で倒れたのですが、そのころナッパ服の上着のポケットにはロングホープが常に入っていた。一日に60本吸っていた。脳出血の原因は昼飯も満足に食べられないし、連日の深夜までの残業、休憩時間もない。そういう過酷な環境が突発的な高血圧(倒れた時上が280ぐらい)に見舞われ先天的にそんざいしていた動脈瘤が破裂したと推測されるが、一方の原因として喫煙が脳卒中にかかわっているとする研究報告がある。過重労働によるストレスと喫煙があいまって脳出血を発症したものと思われる。

発病当初は両手をベッドに縛り付けられていた。若いし、土工という職種がら力が強そうと病院が判断し暴れないような措置が取られた。発病当初は無意識のうちに暴れだす患者もいる。こういう状態で身動きも取れないし、医者からも禁煙の指示が出ているので、付き添いの人に頼んでもたばこは手に入らない。

10日目に倒れた沖縄から郷里の福岡へ車いすに乗せられて戻った時、福岡空港でJALの職員に頼んでハイライトを買ってきてもらった。久しぶりの一服に酔いしれていると、出迎えにきていた弟にとがめられた。弟嫁はお兄さんがあんなに欲しがっているからいいじゃないの。そういったけど、弟は医者からも止められていると、ガンとしてきかなかった。

それから広川町の馬場脳神経外科へ転院した。ここへ来ると車いすの操作を教わった。リハビリ室とトイレぐらいはい来くるようになる。たばこは当然禁じられて。そして1月後にはリハビリ病棟を備えた筑後病院へ転院し訓練に励む。このころになるとたばこは自分で買える状況にあったが、せっかくここまで禁煙したのだからと。1月我慢できたからもう一週間、次はここで吸ったらこれまでの禁煙が無駄になる。そう思うと禁煙が苦にならなくなり、訓練仲間には喫煙者もいたが2月も禁煙が続くと誘惑されても断れた。

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最後に

元気なころはたばこは絶対やめられないと思っていた。たばこを止めるぐらいなら死んだほうがましだと。休憩時間や食後の一服で工事関係の仲間たちと語らっていた。1日に60本。尻から煙が出るぐらい吸っていた。それが割と簡単に止められたのだから自分で吃驚している。自分で動けない状況があったればこそだと思うが。それ以降の、せっかくここまで禁煙したのだから。ここで禁煙を止めるのが「もったいない」そういう心境があったればこその禁煙成功だと思う。人間、損か得かには敏感に反応する。18年吸い続けていたが、意外なことにニコチンの禁断症状はまったくみられなかった。

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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