脳卒中おっさん、憧れのインターネットデビュー、パソコン事始め。

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いまでこそパソコンは誰でも簡単に使えるが、昔はそうではなかった。僕が最初のパソコンを買ったのが99年の9月だった。いや、98年だったかな?あ、そうそう思い出した。パソコンの2000年問題の時は、そこそこ使えるようになっていたので購入は1998年の9月上旬だった。

パソコンの2000年問題というのは今の若い人たちは知らないだろう。パソコンの年数計算に下2桁のみを使用していた場合、2000年になるとパソコンの日付が1900年に戻ってしまい、コンピュータが誤作動するかもしれないという問題のことである。

2000年に日付が変わるとデータが消えたり、パソコンが誤作動を起こすので停電が起きたりする。とメディアで報じられてい。パソコンのプログラムを書き換えなければならないといって、プログラマーやシステムエンジニアが足りないとパソコンメーカーのみならず企業も大騒ぎしていた。しかし、実際には何事もなく正月を迎えることができて、今考えると何であんなに大騒ぎになったのか不思議な気がする。

僕がパソコンを初めて買ったのは1998/09月のことだった。それまではワープロ専用機しか使えなかったのである。パソコンはウィンドーズ95が出た時、世間で大騒ぎになった。メディアがこれからの時代はパソコンが使えない人間は滅びるだろう。などと報じるのでパソコンが使えない僕は大いに慌てたのを覚えている。

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パソコンが使えないと淘汰される

(しかし、パソコンが使えないと滅びるというのはその後事実となる。当初はデスクワークの人だけが使っていたパソコンが工場の現場でも使われ始めた。一般工員は使えなくても仕事はあるが、現場の班長、係長、ベテラン工員になるとパソコンが使えないと職場を去らざるを得ない状況に追い込まれていった。残れたにしても若い部下にアゴで使われ、精神的苦痛に耐えられなくなる。周囲に何人かそうなった人がいる。)

本屋でPCの雑誌を見たりすると、キーボードに日本語の文字はなく、入力はローマ字入力しなない。。中学で英語はいつも零点だったので恐れをなした。ワープロ専用機はなんとか使えるようになったものの。パソコンは僕には相当ハードルが高かった。パソコンショップへ行って、若い店員に色々聞くと、

「勉強していただかないといけません」

というので、ますます腰が引ける。しかし、今からはパソコンぐらい使えないと時代に取り残されてしまうのではないかという恐怖心にかられ、やっとの決断でパソコン購入を決意したのが1998/09月というわけだ。富士通のFMVの型落ちで、確か10万円ぐらいだった。それから弟に紹介された福岡のプロバイダー「トライネットワーク」に年間18000円の費用を払ってネットに接続した。年会費を振り込むとA4用紙に数枚がプリントされた接続設定が送られてきた。しかし読んでも専門用語がさっぱりわからない。電話で尋ねたりしながら3日ぐらい接続するのにかかったと思う。

当時のパソコンというのは今のに比べるとオモチャみたいなものである。メモリなんて32MBだもの。画像を添付したメールを送るのに5分ぐらいかかったし。容量の大きなデータが送られてくると、パソコンがウンウン唸りながら20分ぐらいかかって受信していた。プロバイダーの接続料のほかにも電話代がかかるので大きいデータを受信するのは費用がかさんでいた。当時定額制はまだ高額だった。使った分を支払う従量制方式へ加入した。

憧れのネットデビュー

まあ、とにかくこうして憧れのインターネットに接続できウキウキしていた。、このインターネットという物をどう使えばいいのかが分かりらない。当時は自分の周囲を見渡しても若い世代ですらインターネットをやっているという人はごくわずか、というより田舎ではほとんどいなかった。こんなわけだから40代後半の世代ともなれば、やっているのはパソコン教室の講師ぐらい。メール交換を試してみるにも、弟ですら会社のパソコンでしかやってないので、個人的なメールを試してみるのも憚られた。それでも弟にメールを送って返信が来たときは嬉しかった。

ネットを見ているとメールフレンド募集の掲示板というのがあるということがわかってきた。あるホームページを見ると日本地図があって都道府県名が記入されている。自分の住む県をクリックすると使い方が書いてあった。自分のプロフィールとメールアドレスをを記入して投稿しておくと、これを見た人がメールをくれるという仕組みになっていた。これに対する費用はいっさいかからない。誰かからメールがこないかと毎日期待していたが、来るのはパソコンメーカーのお知らせばかりという有様。

パソコン雑誌を見ていると異性とメール交換していて楽しいとか。メル友から恋人に発展し結婚までしたという人たちもいると書かれていた。若い独身の人ならメル友募集にも応募が多いのだろうが、中年の、しかも50に手が届きそうなオッサンでは相手にされないのが落ちかなとの思いで悶々としていた。

色んなメルトモ募集の掲示板を見て回ってはメール交換を申し込んでいたところ、ボツボツ返信が来るようになった。僕は大喜びでメールを書いて送った。

しかし、1週間も毎日メールを書いてると日常のたわいのないメールから更に一歩踏み込んだ関係になりたいものだと思い始めるのである。しかし、相手の女性に好意があるみたいな内容のメールを送ると、プッツリとメールが止まる。色々調べてみると、女性がメル友募集の投稿をすると、だいたい1日で200通以上のメールが殺到すると書かれていた。

最後に

テクノロジーの進歩は目覚ましく、とりわけIT関係の進化のスピードはすさまじくより加速的である。やっと覚えたソフトですら半年後には古くなっている。これは何もITだけに限らず、街中が、否、世界中のすべてが巨大台風のような変化の渦に巻き込まれ、右往左往している。商いも人も、人種、国境を越えて行きかい、あまりの変化の速さと大きさに、この先、どの方向に舵を切れば良いかと天を仰いでいる。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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