急速に変化する多様なる価値観への戸惑い

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人々は今、時代の急速な変化に対応でききずに不安と戸惑いを抱いている。

IT、特に、電子メールや携帯電話の出現で人々の価値観は急速に多様化している。これまでの画一的な考えの押し付けでは人々はもはや動かなくなってしまった。巨大メーカーや、政治、行政が膨大な宣伝広告を打って、大衆をコントロールしようとしても、「笛吹けど踊らず」である。「これからはこんなことが楽しいですよ」という、自分たちに都合の良いコンセプトで作られたテーマパークや箱物と呼ばれる中身のない施設では誰も寄り付かなくなった。個人の楽しみは自分で決めるのもの。60億の人間がいればそれこそ60億の楽しみ方があっても可笑しくないのである。

つい10年前までパソコン端末さえそろえれば情報革命の波に乗れると、多くの企業が信じていた。しかし、パソコンの操作が出来るぐらいでは、大した情報革命にはならない。表計算やワープロのデータ入力など所詮は肉体労働の域を出ない。ある程度の訓練をすれば誰でも入力作業などできてしまう。つまりは代用がきくのである。

10年前までは通用していたワープロ、表計算の入力という子供だましの情報化路線はアッという間に終焉を迎えた。パソコンを使って金儲けが出来る。パソコンを使って恋愛を入手した。趣味の友達が出来た。一面識も無い企業や人と知り合えてビジネスチャンスが拡大した。そういう具体的な成果が得られなければ、パソコンなんて、ややこしいだけの箱である。パソコンをただの文字の清書機能や作図、画像の加工といった、これまで手作業でやっていたことをコンピュータがいとも簡単にやってくれると多くの人が喜んだ。

しかし、一部の人たちはパソコンがインターネットにつながったとき、本当の意味の情報革命が起こるのを見抜いていた。そういった人たちが今、IT長者と呼ばれている。今、本当の意味での情報革命に突入し、旧態依然とした学校教育や価値観では通用しなくなった。学問とはこれまでに起きた事を検証し、物を言う仕事である。アナログ時代には通用したが、デジタル時代の今は10年前のデータですら役たたずである。これまでの古臭い学問では未来を予測したり、現実に起きている事に対処するには世の中の変化があまりにも早すぎてついていけないのだ。

世間の常識に従って、有名高校から有名大学を出て大きな会社に就職すれば、一生安泰だと思われてきたことはいまや完全に否定された。終身雇用が未来永劫続くことを前提に、これまで忠誠を尽くしてきた組織から、まるでボロ雑巾でも捨てるように首を切られていく中高年を見ていると、哀れでならない。昨今の価値観の多様化は著しいものがあり、その変化のスピードについていけずに人々は右往左往している。

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恋愛観の変化に戸惑う

特に恋愛観の変化が社会に与える影響は実に大きい。突き詰めていくと戸籍法の問題から論議をせねばならず、国家の仕組みを根底から覆しかねないのである。難しく言うとそういうことだが、分かりやすく言えば人々が生殖のための行為をしなくなり子供が少ない社会になってしまったということだ。

少子化の問題について論議されるとき、子供を育てる環境が悪いと口をそろえる。やれ、幼稚園を増やせ、子供を産んだら手当てを出せ、男はもっと家事や育児に協力すべきだなどと主張する。もちろん、そういうことも間違いでは無い。大いに検証されるべきことではあるが、もはや政治の小手先のごまかしでは通用しない時代になってきている。

「恋愛したいとは」、「好き好きをしたい」ということの文学的な表現である。好き好きの主な目的はついこの前までは生殖だった。それが最近はコミュニケーションをとるための手段へと変化している。好き好きは究極の愛情表現なのだ。

好きな男の子供なら女は子育ての苦労を厭わない。世間体や義務感で結婚しても何人も子供をつくろうとは誰も思わなくなった。娯楽の少ない発展途上の国ならば貧困の苦しみを忘れようと励むだろうが。IT社会の住民は肉体的な好き好きよりも精神的なものを好むようになった。

これまでの商店街やデパートは一種の、男女の出会いの場という機能をもっていた。若い世代をターゲットにした最新の品揃えで、若い女性を魅了してひきつけた。若い女性が街に繰り出すと釣られるように若い男性も現れる。そして女性の気を引くためにさまざまに浪費する。 若い男女が商店街やデパートに繰り出せば自然と街全体も活性化していく。

人は寂しい場所よりも、多少輪雑でも賑やかさを好む生き物なのだ。動物は集団を作る本能がある。集団への帰属意識が無意識のうちに中高年までも街へ誘ってしまう。商店街やデパート、地域のコミュニティーのイベントなどは男女の出会いの場という隠れた側面をもっていたのである。たとえば盆踊りなどは、その日は既婚者同士のセックスも許されるという暗黙の了解が農村には古より存在した。

盆踊りは男女の出会いの場

踊りながらグルグル回る間に相手を探すのだ。気が合えばこっそりと踊りの輪を抜け、暗がりへと消えていく。昔の農村で盆踊りの夜は、人気の少ない墓場、茶畑のウネの間、農作業小屋、廃屋の中からは男女のうめき声が聞こえていたものである。好きあっている男女はたとえ既婚でも、盆踊りの夜だけは抱き合うことが許されていた。

子の生まれぬ夫婦には、相手が代わることで妊娠の可能性もでてくるのである。農村は重労働なのだ。子供、特に、男の子は貴重な労働力である。親父の顔と息子の顔が似ていないなどと悠長な事を言ってはおれないのだ。田植えなどは上から下へと水を回す順番が決められている。与えられた時間内に苗の植えつけを終えなければ、容赦なく水路は遮断される。農繁期の農家はまさに戦場である。男手はいくらあっても足りないのだ。

農村にあった夜這いの風習も村に一人でも多くの働き手を確保するための手段と近親交配を防ぐ側面もあったのだろう。農村は家を守るという観点から近親者同士で婚儀を重ねてきた。終戦後まで従兄弟同士、叔父と姪の結婚など珍しいことではなかった。であるからにして先天的に障害を持つ子や病弱な子が少なからずいた。どんなに優秀な血統でも同種交配を重ねると弊害が多い。

人類は古代より動物を飼いながらそのことは体験的に知っていたようだ。奈良時代、平安時代といった律令体制の時、貴族らは血族結婚を繰り返して家督を守ってきたのである。ゆえに心身に障害のある者が結構いたが、近親結婚の場合、まれにとてつもない天才を生み出すことがある。農村でも近親交配の弊害については体験的に察知しており、村を通りがかった旅の者が一宿を申し出ると、たとえばその者が都人であったり屈強な男であったりすると村の娘が枕席にはべり「お種頂戴」といって一夜の伽を申し出たというのである。

殿様や貴族が村のちかくを通った場合、村長(むらおさ)が出て供応したとなどと古文書は伝えている。村娘が懐妊し、子をなした場合など村中で大切に育てられたという。もっとも、貴族などの伽をする者は地侍等の支配者階級の娘に限られていたようであるが。次男三男の冷や飯食いや作男などの娘は旅の遊行僧、行商人などに伽をさせていたとの記述も見られる。

年頃になった娘を持つ親は家の戸口の突っ張り棒はわざとはずしておく。娘の元へは複数の男が忍んでくる。生まれた子の父親は娘が決定権を持っている。好きな男と所帯を持ち、たとえ生まれてきた子の顔が自分とちがっても、男親は自分の子として育てる。

こういうことはいかにもふしだらといおうか貞操観念が欠落しているように思えるのだが、違った血を入れることで近親結婚の弊害を防いでいたのである。以上述べたように我々日本人は元来、性には実におおらかな民族だったのである。悪く言えば貞操観念がないということになる。

明治政府が近代化を推し進める上で、諸外国から貞操観念の欠如やいたるところで立小便をし、路上へタンや唾を吐く国民性を恥じた。そのような猥雑な因習の根源である若衆宿を国家指導でなくし、その代わりに青年団を創設した。それによって青少年の性教育の場や社会に出ていく前の男としての必要な躾の場がなくなってしまった。貞操観念を強く求めるのはキリスト教徒である。一夫一婦制が日本に入ってきたのは明治維新後である。西欧の近代化に追い付き追い越せと政府がやっきになったからだ。一夫一婦制は徴兵制度にも都合が良い。西洋のものは何でもありがたがれらてキリスト教がもてはやされ、神社仏閣が捨てられていった。
(一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が1868年(明治元)3月に発した太政官布告(神社分離令明治3)1870年の大教宣布など神道国教・祭礼一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊など指す)

最後に

古くより地域の商店街や村祭りなどは男女の出会いの場という側面もあったわけだが、今はネットの中が出会いの場となってしまった。ゆえに若者がデパートや地域から消え、街全体が火の消えたようになって、商店街はシャッター通りなどと揶揄されるようになった。時代は変わってしまったのである。高度成長期までは美しいとされてきた美意識が今は全く通用しないのである。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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