片麻痺オフ回想記

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昔はSNSが無かったので掲示板とメーリングリストで交流していた。まあ、そうすると、脳卒中って病名が婆臭いとか言って、ご同病同士だから盛り上がる。北は北海道から九州までいるわけで。じゃあ、みんなで集まろうと、自然とそうなる。で、会場の手配、集合場所の設定、人数の把握、部屋割り、などなど。エアーチケットの手配もあるし。それを福岡にいながら段取りするわけ。もうこれが死ぬほど面倒くさい。

参加をためらっていた関西の男が締め切り直前に参加すると言い出した。しかし、これには裏があった。第二次集合場所の東京駅のカフェグランというレストランで集まっていると、この男途中で抜けると言い出した。理由を聞くとメル友と丸ビルで待ち合わせしている。そういうので、じゃあーそっちに行けよ。こうなった。しかし、1時間後には戻ってきた。

どうしたのって聞くと女が来ないって言うのよ。なんだそれって、黄色いTシャツ着ていると伝えてあるので、わかるはず、だって。おくれてくるかもしれないからもう一回丸ビルへ行ってこい。もうオフ会はこなくていいから。そう言ってやると、すいませんオフ会に行きます。そういうので、京浜東北線に乗って北区十条の王子駅で降りて東京都障害者スポーツセンターへ移動した。

 

大食堂でみんなで乾杯してほろ酔い気分になって、居室に戻ったら、25号室に集まれという。行ってみると10人ぐらいで満杯になるので2部屋に分かれて宴会。酒好きがリュックの中から焼酎とワイン取り出す。もうこうなると飲めや歌えで、ベロベロになる奴が現れる。30代の女片麻痺が途中から家に帰るといいだすので、それをみんなで止めるのに必死だった。

飛行機利用の北海道、九州、関西組は一緒に羽田に行って、出発時間まで間があるので、話し込んでいたら搭乗手続きのアナウンスで、それぞれに向かおうとしたら南ウイングにいたので、北海道組は北ウイング。羽田は広いから片麻痺で歩くと間に合わない。なので事情を話して車いすを用意してもらって、送ってもらった。福岡に到着して、メールで無事に女満別空港に着いたと連絡があった時はほっとした。

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その他にもよく集まった。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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