みんなどうしているかな、リハビリセンターの想いで。

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リハビリセンターに入所したのは36歳だった。1年半に渡り入所訓練に励むわけだが、2人づつ同じ部屋にいれられる。相棒は3つ年上の39歳。林清三郎という。福岡姪浜でペンキ屋だった。大酒飲みで、それが脳内出血の元だと語る。

障害者になったのを機ににわか仏教徒になった。朝な夕なに念仏を唱えるので閉口した。宗教にすがりたい気持ちはわからないでもないが、それでも酒を止められない。外出時には必ず酒を飲んでくる。ある時、自販機のワンカップを煽って、歩けなくなり、側溝にはまってもがいているところを通行人に通報され、指導員が迎えに行くこともある。また荷物の中にワンカップを忍ばせては居室前の寮母詰め所検問でバレて、訓練課長から大目玉をくらうこともしばしば。彼の事は「せいちゃん」とみんな呼んでいた。(写真はせいちゃんの次に同室になった八百屋の西村さん。訓練室の矯正台でアキレス腱を伸ばす)

初夏になると、訓練室の裏側に畑があり西瓜の花が開花した。管財係の森本さんが植えたものである。中には梅の実大の小さな西瓜の実がついているのが訓練室の窓ごしに見える。みんな多くくなるのを楽しみにしていた。せいちゃんが秘密裏に持ち込んだワンカップをあおりながら、こんなことを言い出した。

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西瓜でいたずら

「なあ、まこちゃん、センター前の八百屋に小玉西瓜を売っとろうが、あれば買うてきてくさ、夜中に西瓜畑に置いとけば面白かばい。もうあげん大きゅうなっとるち、みんなびっくりするばい」

せいちゃんが金は出すというので、僕はぶん回し歩行でスイカを買ってきて、夜のうちに西瓜畑に置いた。あくる日の訓練室では西瓜が一晩で大きく成っとると話題になった。しかし、この件は誰かのいたずらだろうと毛むくじゃらのPT井出先生に見抜かれてしまった。(写真左から2番目がせいちゃん・運動会のワンショット)

もうあれから34年の月日が流れた。みんな今頃どうしているだろうか。亡くなった人もいるだろう。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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