一雄がホームレスになった理由(わけ)

スポンサードリンク

一雄は、今節の福ボーで合計35万ほど負けた。以前からの借金を合わせると600万円近くの借金地獄に陥っている。借りた金の返済に他のカードを利用した。カードの枚数は7枚にもなっていた。もうこれ以上の借り入れは不可能である。

最後の優勝戦にはギャンブラーの血が騒いでどうしても行きたかった。初日から通っているだけに最後の優勝戦の結果を見届けたいという、ボートファン特有の心理がそうさせる。主催者側も最後の優勝戦が観衆を一番興奮させ、ファンの財布の紐を緩めさせ、売上の増大を図るような番組編成に抜かりなはない。それに拍車をかけるのがスポーツ紙の大見出しと場内予想屋の口上である。

無知で強欲な民衆は、
「優勝戦は1-2、1発、頭は岩」
などのキャッチコピーに踊らされ、仕事を途中で抜け出して来たサラリーマン。現場を放り出して来たナッパ服姿の作業員。強引な路上駐車で駆けつけて来るトラックの運転手。などなど。2万人近い群集で優勝戦開催日の福岡ボートはごったがえする。

団地前のコンビで買ってきた、いつものスポーツ新聞を見ていると、一雄は優勝にどうしても行きたいという気持を押さえることができなくなって来た。負ける度に、もう今日で賭け事は止めた。明日からは気を取り直して仕事に打ち込むぞ、と反省する。しかし、1晩寝ると昨日の反省はどこへやら。よし。今日こそは絶対負けないぞ。昨日はツキがなかっただけだから。

無精ひげも剃ったし。今日はツキが回ってきそうな気がする。うんうん。そうだ。昨日は欲を出しすぎて冷静さを欠いていた。よしよし。今日こそ他人の意見に惑わされたりしないぞ。それからオッズにも十分注意しよう。オッズを見ていると高配当に目がくらんで冷静な判断力を失う。配当の事ばかりに目が行くからいつも負けるのだ。固いレースを1本釣りで攻めれば勝てるぞ。

とこんなシチュエーションが頭の中に出来上がると、ギャンブラーはいてもたってもいられなくなる。あそこのカードは使えないが、そうだ。質屋に持っていける物はないか。誰かに借りれないか。頭の中は金の工面ではちきれんばかりになる。こういう心理状態に陥ると普段の人格は一変し、ウソをつくのも平気だし、家族の金は自分の金も同然だ。ちょっとだけ借りるのなら文句はないだろう。と勝手な理屈をつけて自分を正当化する。

一雄の財布には1枚のクジラ札しかない。クジラというのは1万円の事だ。常連のボートファンの間ではそう呼ばれている。妻の財布から、

「ちょっと貸しとけ、後ですぐ返すけん」

引ったくるように2枚のクジラ札を抜き取った。急いで地下鉄に飛び乗った。福岡競艇場の門をくぐると5レースに間に合った。

「はーい、はーい、はい、今度の5レースは頭は岩よ、これしかない、頭は固かけん、ヒモ探しのレースたい」

これは誰が見ても同じ予想をするだろう。
3-1 3-2 3-4と5千円ずつ3点買いでバッチリ取った。3-1で入って370円の一番安い配当だから、3500円しかもうからない。

ああ。やっぱり。3-1の一点買いしとけばよかった。と反省することしきりである。しかし、反省した後は全然当たらない。10レースでスッテンテンになってしまった。一雄はギャンブルで負けたときの独特の脱力感に教われ、しばらくその場に座り込んでしまった。やがて気を取り直して立ち上がるとボート場の出口へ向かった。福岡ボートの通称オケラ通りをトボトボ歩いていると、背後から声がした。

「大将、大将、優勝でひと勝負しまっせんか、高山の頭でで固かですよ。2着も違わん6号艇ですたい。金は免許証ば預かって20万までなら貸しちゃるばい。そんかわり利息はトイチたい。優勝やけん。5-6の大本命でちゃ500円は付きますたい。5-6ば20万一本勝負。取れれば100万。今日の負けは一発で解消。男なら勝負してみらんね、大将」

正常な精神状態なら、とんでも無い話に聞こえるが、レースに負けて借金がかさんでいる人間にとって、これは悪魔のささやきにも等しい。負けが込めば込むほど、次のレースでは当たりそうな気がする。一雄は、いかにもその筋といった風体の、30がらみの小太りした男に、免許証を渡すとクジラを受け取って確認した。

「ありゃ、18枚しかなかばい」

一雄が恐る恐る尋ねると、

「そりゃ、そうくさ、こっちも商売やけんね、利息は先に引いとるたい」
とそのお兄さんはのたまうがそんなことはどうでもよかった。気持は早くしないと舟券を買いそこねるの一点だ。金利のことなんかどうでも良いという気持だった。一雄は慌てて、今きた道をとって返した。
最後の優勝戦は5-6が本命だ。これには誰が見ても異論は、無いだろう。5-6だと配当500円のオッズである。5-3で600円だ。5-4なら1200円のオッズである。5-6の一本釣りか。他のも押さえておくか。随分悩んだ。どの新聞も。場内の、どの予想屋も5-6 一発だと言っている。
締め切り5分前になると5-6のオッズが500円から400円に急激に下がった。観衆の中からこんな声が聞こえて来た。

「おっ、誰かプロの勝負師が大口で買うたとばい。そいけんオッズが下がったとやね。これは5-6で決まりばい。今日のお土産レースたい」

一雄は5-6か5-3で決まりそうな予感がしきりにするのだった。5-6を10万。5-3を8万の2点買いで勝負しようと、窓口に行くまでは思っていた。そして締め切り1分前のアナウンスが流れて来た。

「締め切り1分前、いよいよ締め切ります」

とアナウンスがうるさい。しかしこの1分は、ものすごく長いことを常連の一雄は知っているから慌てない。しかしここで慌てなかった事が後で裏目に出ようとは想像もしなかった。
「締め切り1分前、締め切り1分前、いよいよ締め切ります。いよいよ締め切ります」
一雄はこのときになると朝の反省点。他人の言動に惑わされない、は、すっかり頭の中から抜け落ちいている。
5-6100枚 5-3 80枚 と書いていた舟券投票用紙を5-61 80枚に変更したのである。5-6 180枚と刻印された舟券が一雄の手に渡された。
それまでざわめいていた場内に、レース開始のアナウンスが流れると、群集はシーンとなって競争水面に視線を注いだ。やがて、ファンファーレが鳴り響くと同時に6つのボートが博多湾の競争水面に登場した。

「連日、熱戦を繰り広げております福岡ボート、お盆特選レースもいよいよ本日、最後の優勝戦となって参りました。さて。優勝の栄冠は6選手の誰の手に輝くのでしょうか。いよいよ優勝戦の開始です」

場内にロッキーのテーマ曲が流れ始め、6つの艇が好きなポジションからいっせいにスタートを切ると専属アナウンサーの名調子がとうとうとボート場内に流れ始めた。

「さあーて。第1マークを回って先頭はイン水域から好スタートを切った5番。続いて6番。すぐその後ろから3番が続いております。そして3番、4番、1番と続いておりますが、早くも4号艇がキャビテーションして失速ぎみ。体系は5-6と変わらず、いよいよ第2マークの旋回です」

バックストレッチは5-6の体系で決まったような雰囲気だが、3号艇が猛追している。

「行けえ、5-6で決まりじゃろうもん」

一雄は柵にしがみつくと絶叫した。この時、一雄は勝ったと思った。しかし。しかしである。人間、ツキがない時には徹底してツキの女神に見放される。2週1マークで6号艇がターンでわずかに流れるとアナウンサーが絶叫した。
「ああ、6号艇の内側を突いて3号艇が果敢に切り込んで参りました。ただ今、6号艇と3号艇がラップ状態で旋回中です、2着争いは混沌としております。」

結局。6号艇のわずかなスキを3号艇に差されて5-6の体系が5-3に変わってしまった。一雄の顔面からは血の気が引いた。内心しきりに一点買に変更したことを後悔したが、いまさらどうしようもなかった。レースはそのまま周回を重ね5-3で決まって680円の配当が電工掲示板に表示された。

一雄の元には借金返済の督促状が頻繁に届くようになった。その使途と返済を巡って妻との言い争いが耐えなくなって来た。そんな両親を見つめる子どもたちの目は常に怯えている。自転車操業で借金のヤリクリをしている一雄は、例のトイチで借りた借金のことが頭から離れない。毎月利息だけでも入れておかないと、借金の額は膨らむ一方だろうと思って。利息の返済だけは妻に無理を言ってやりくりをつけている。

しかし、もう、どう遣り繰りつけても二進も三進も行かない状態である。そんなウップンを晴らそうと、メル友のミホと会う約束を取り付けた。彼女も夫の浮気に悩まされているらしかった。嫌なことを忘れるためにも一雄に会いたいと思っている。待ち合わせは博多から少し離れた駅前の喫茶店である。コーヒーもそこそこに免許証不携帯でミホをカローラに乗せた。来るときに下見して来た町外れのラブホに直行した。

昼間だというのにラブホは満室だった。が奥の部屋から1台の軽が出てきた。どんな奴か乗っている見たかったが、スモークが貼ってありよく見えない。駐車スペースに車を止め入室した。部屋に入るとすぐに電話が鳴る。部屋の使い方の簡単な説明を聞いた。そんなことはどうでもよく。やがて、二人のめくるめく時間が始まって終わりを告げた…。

一雄は借金で苦しい事を泣きながら打ち明け、死にたいとミホに漏らした。そんな一雄にミホは同情した。返すのはいつでもいいからとセカンドバッグから5万円を取り出して渡した。これぐらいの金額では、借金返済には焼け石に水だが、それでも一雄は嬉しかった。とりあえず例の、トイチの利息の一部に入金した。しかし、10月になると、元金利息を合わせ、20万円の借り入れが、複利だから200万円は超えているといわれ、青ざめた。違法なのはわかっていたが、それを承知で借りたのだから、どうしようもなかった。

一雄の自宅には借金取りが夜中にも押し寄せるようになった。48歳の妻を風俗で働かせないか。と人相の悪い取り立て屋から100万にはなるぞと脅されたりもした。また、一雄自らが遠洋のマグロ船の乗組員にならないかと持ちかけられたのは良い方だ。

腎臓は2つもいらないから、これを摘出すればン百万にはなるぞ。と聞かされときには腰が抜けるほど驚いた。妻とふたりで車の中にガスを引き込んで心中しようかとも考えた。しかし、子どもたちの事を思うとそれもはばかられる。また罪も無い妻を道ずれにするのも気が咎めた。仕事も休みがちとなり、自棄酒におぼれる悶々とした暮らしをしていると、ミホから相談があるのでいつもの場所で待っているとメールが入った。

最近は、車のガソリン代にも事欠く有様の一雄である。免許証は闇金に預けたままなので、不携帯で乗っていた。ある日、ボート仲間のタクシー運転手がこんな事を言った。

「カズオさん、免許証の紛失届ば出さんね。そして再発行ば申請するとたい。笹栗の運転免許試験場の聴聞会に呼び出されるけん。失くしましたと言えばよか。それで新しか免許証の手に入る」

小さな街の戸籍掛かりで、小心者の一雄は、そんなことがバレたら職場をクビになると思い、実行をためらっていた。ズルズルと不携帯で運転している。以前、上司の部長が不倫相手に自分が独身だと信用させるために、ニセの離婚届を相手にファクスした。本当は離婚などしていなかった。それがバレて大騒ぎになった。

戸籍行政に長年携わってきた上司は自宅のパソコンで書類をねつ造した。しかし、市長の公印が押されていないので発覚したのである。部長は懲戒免職となり、その後の消息は知れない。そんなことになれば親戚や家族にも迷惑がかかる…。

小銭を寄せ集めて20リットルをやっと給油した。約束の日時に出向き、ミホを車に乗せるとラブホに直行した。途中、酒の自販機の前を通りかかると、彼女が急に酒を買おうと言い出した。一雄がカローラを止めると、ミホは降りて、ワンカップと缶ビールを抱えて来た。

今度のラブホは和室である。入室するなり激しくクチビルを求め合った。やがて、欲望を満たして、少し落ち着いたところで酒盛りを始めた。ツマミは備え付けの冷蔵庫からサキイカとピナーツを出した。ふたりとも酔いが回って来ると饒舌になった。

「ねえ、一雄さん、うちの旦那ばヤッてくれんね。うまくいったなら保険金の半分はアンタにやるけん。うちの奴は、近頃、不倫相手の女教師に入れ揚げて帰ってこんごとなったと。悔しかけん、うちがアテつけに死ぬか。旦那ば、しまわかしてやりたか。5千万の生命保険ばかけとるけん。うまくいけば2500万円はアンタのもんたい。うちが手はずば整えるけん。アンタが息の根ば止めてくれるとよか」

「なんね、ミホちゃん、今日はどうしたと。そげな、旦那ば、しまやかくれやら、尋常じゃなかばい、何かあったとね」

「うん、実はね、一雄さん、うちはこの前、義父の部屋に呼ばれて離れにいったと。そしたら義母の留守をよいことに、うちば畳に押さえ付けたとよ。大きな声ば出したしたけんよかったとやけどね。このことば旦那に言うと、

「なんもされとらんなら、よかやないか。触られたぐらいなら、減るもんじゃなかけん、よかろうもん」て、こげん言うとよ。それに、不倫相手の向うの旦那さんにもバレてから、もう我が家は毎日が地獄の日々よ。

スポンサードリンク

「家んとばしまやすか、うちが死にたかあ」

なるほど。ミホの話を聞けば彼女が夫を殺したいほど憎む理由はわかった。そうかといって、一雄は、上司の例もあるし。実行する勇気がわかなかった。しかし、状況は逼迫している。2度目にミホを抱いている最中に一雄は決心した。

「よ~し、わかった。こげんなりゃ、ミホちゃんと一蓮托生たい。ふたりで地獄に落ちろうやなかね。一人ならえずか(怖い)ばってん。ミホちゃんと二人なら地獄に落ちてもよか、旦那に目薬の入ったビールかウイスキーば飲ませて…」

この日は続けて2回ミホと交わった。しかし、一雄には計画を実行するだけの勇気はなかった。それからは借金取りが職場まで押しかけるようになり、退職せざるを得なくなり失職した。

あれから1年後、一雄は今、東京の荒川河川敷の公園にいる。ベニア板とダンボールを青いビニールシートで包んだ。掘っ立て小屋に寝泊りしている。レストランやコンビにから出される残飯を漁ったり、アルミ缶を集めて売ったり。たまには日雇い労働に出ながら暮らしている。妻は子供を連れて実家に身を寄せている。借金の尻拭いは一雄の兄が田畑を手放して始末してくれたと風の便りに聞いた。自分の事を探しているらしいが、今更実家へ顔を出せた義理じゃない。このままひっそりと野垂れ死にする覚悟もできている。ただ、ミホがあれからどうなったのか気にはしている。いつか拾った新聞で見た記事が気に成った。福岡の海辺で手足が切断された中年男性の変死体が流れ着き、中学校の教師だと身元が判明した、とあった…。

The following two tabs change content below.
まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

まこっちゃん

最新記事 by まこっちゃん (全て見る)

スポンサードリンク