酒井田柿右衛門ルーツは上妻郡、現八女市にあり

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筑後戦国史という本がある。著者は吉永正春という人だ。筑後地方の戦国史についての本はこれぐらいしか見当たらない。なかなかに興味深い。
この本によると、
天正10年2月、
上妻郡小屋村の猫尾城主黒木兵庫頭家永が竜造寺に反旗を翻したという。
竜造寺正家、鍋島信夫(直茂)は軍議して、黒木を攻めるため肥筑の兵5千で猫尾城へ押し寄せたが押し戻された。

天正10年3月、
辺春城主薩摩の守鎮信は竜造寺方の堤が兵500で攻めた。守る辺春の人数は不明。

この6月、中央では織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれている。

天正12年9月、
竜造寺正家は肥筑の兵3万で攻めた。

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酒井田柿右衛門のルーツ

上妻郡衆の酒井田、稲員氏らが大友方として参加した。

辺春氏に協力した酒井田壱岐の守は、酒井田村25町を領し、長田にに居館があったという。

酒井田氏はその後、竜造寺によって肥前に連行された。やがてその子孫が陶工酒井田柿右衛門になったという

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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