障害者恋愛考

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正明は25歳のとき脳内出血で倒れ、左半身不随になった。その後、必死にがんばって社会復帰を果たした。30歳の時、ボランティア活動をしていた静子を口説いて所帯を持った。正明はイージーハウスという個人会社を作り印刷の下請けをしている。工賃はわずかであるが障害年金を受給しているので合計すれば月額20万円ぐらいにはなるが、毎月の仕事の量によって違ってくる。

結婚して3年目にして女の子が誕生した。生まれたときは猿のようで、ひ弱だった我が子も今はかわいい盛りで今年、小学校にあがった。初め正明は子供の事などどうでもよかった。もし障害のある子が生まれたら、父親になる自信がなかったのである。体に障害者を持ちながら世の中を渡ってゆかねばならないということは、想像を絶するような努力と忍耐と精神力を必用とする。そのように強い人間に育てる自信がなかった。

静子は子供をほしがった。

さっぱり妊娠しないので不妊症かも知れないと思い病院を訪ねたとき、
「奥さんの方には全く異常がありません。ご主人が障害をお持ちなら、一度病院へ連れていらっしゃい、調べてみましょう」
と医者に言われ、静子からあなたも病院で検査してくれと頼んだ。元気な頃に付き合っていた女を妊娠させた経験がある正明は、
「脳出血になったからといって子種が切れているはずはない。第一、病院へ行ったところで精液を一人で採集するのが難しい。両手が使えるなら右手でマツタケをしごいて左手に容器を持って採ればいいだろう。左の手足が麻痺している俺にはそれができない。それとも看護師が手伝ってくれるとでも言うのか」
そして、もうあきらめかけていたころ妻の体調に異変が生じた。もしかしたらと思い、静子は産婦人科のドアーをくぐった。
「おめでとうございます。妊娠3ケ月ですよ」
と言われニコニコ顔で戻ってきた。

贅沢はできないが普通の暮らしだと思っている。2年前からレスになった以外、特にこれと言った不満は無い。レスになったからといって不平をいうのは障害者の世界では贅沢だと思われてもしかたない。チェリーボーイで生涯を終える障害者も多い。たとえレスになったとしても、男の欲望は風俗店や、自家発電で処理できるからだ。手が使えずにマスターベーションすらままならずに童貞や処女のままで一生を終える人も多くいる。そういう人たちのことを考えてもただ同情することしかできないが・・・。

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そしてレスになる

結婚生活も長くなると男と女という感情は薄れ、父親や母親としての存在に重きが移った。結婚当初は、めくるめく時間だったものが、一緒に暮らすようになると飽きてしまう。妻も性生活には嫌悪感を持っているようだ。真美子を産んでから興味を示さなくなった。レスになるまでは渋々応じていたが、義務でするエッチなんかどうでもよくなった。まあこのようなことは世間一般の夫婦にありがちな傾向で、永年連れ添った夫婦が月に何度も交じり合う方が異常なのではないか。

人生相談のコーナーなどでスレスになったカップルへのアドバイスとして、妻の方が化粧や下着を悩殺的なものに変える。部屋の模様替えをする。妻から夜の誘いをする。夫婦で旅行にいって気分転換を図るなどといったものが上げられるが。そういった小手先のごまかしではもう通用しなくなった。

佐美子は34歳で交通事故に遭い、左半身麻痺となった。受傷してから5年になる。リハビリ訓練で、足に補装具というものを付けて杖を突いて2~3キロ歩く程度には回復した。が精神的に立ち直りができずに自棄になり、リハビリも怠けがちである。千葉のリハビリセンターにいたとき、気晴らしにといって心理の先生からインターネットを勧められた。地域の障害者支援センターに通ってパソコンの手ほどきを受けた。公務員の夫と小学校に通う息子の3人暮らしである。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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