英国の義足の戦闘機乗り、ドイツも騎士道精神で対応

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1931年、アクロバット飛行中に起こした墜落事故で両脚を失うものの、義足をつけ、戦闘機パイロットに志願。
最終的に23.3機を撃墜するが、1941年8月19日、彼のスピットファイアはBf109と空中衝突を起こし脱出。
この時に義足も失い、ドイツ軍?の捕虜となる。

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「義足のエース」

としてドイツにも名を知られていた彼には、アドルフ・ガーラントも面会を申し込んだと言われる。
更にはイギリス機を領空まで迎え入れ、彼の代わりの義足を投下することを許した。

その後、何度と捕虜収容所から脱出を試みるも逮捕され、最終的には厳重な警備が敷かれていたコルテディッツ捕虜収容所に移され、終戦を迎えた。

終戦後1946年にRAFを大佐で退役し、大手石油メーカー「ロイヤル・ダッチ・シェル」に就職。同社の航空機部門の責任者などを歴任した。(出典:航空軍事用語辞典)

このベイダーの様子は「殴り込み戦闘機隊」という映画になった。DVDも発売されている。

義足の戦闘機乗りとしては日本にも檜中尉がいる。空中戦ともなれば、義足でフットバーを瞬時に蹴るわけで、感覚の無さをどう克服したのだろうか。先人たちのすごさに脱帽である。

隻脚のエース

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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