脳卒中片麻痺、階段リハビリ

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200903051310

脳出血の後遺症で左足が棒のように硬直して膝が曲がらず歩行は困難を極めた。発病当初は、階段を上がるには手摺につかまっていた。一段づつかろうじて上がるのが精一杯であった。人は足の膝をわずかに曲げた状態で歩いている。脳卒中になると手足に強い突っ張りが出て膝を曲げて滑らかに歩けなくなる。

その他にも足の裏が内返りする「内反」、足首が垂れ下ったまま動かない「尖足」、という障害も歩行困難の要因であるが、これらの対策としては装具で補うことが可能だが、膝が曲がらない原因である「反張膝」に対しての対処方法がほとんど無い。最近、松尾隆先生の痙性コントロール手術というのを知ったが、東京なので診察にも行けない。

「反張膝」というのは健常者にはわかりにくいと思うが、、足を振り出して、体重をかけた途端に膝がガチッとロックされてしまう状態のことだ。つまり膝が伸びきってしまう。こうなると歩行はできない。それでも前進しようと思って感覚の全くない麻痺足に懇親の力をこめて振り出す。そうするとどういう風になるかと言うと、腰がひねられて足は大きく外側に孤を描き、かろうじて前方に着地する。とまたここで膝にロックがかかる。

健側の足は滑らかに曲がるので左右チグハグの歩行となる。ちょうど時計の振り子みたいだからブン回し歩行と呼ばれる。突っ張りが強いと足を振り回したり引きずっての移動しかできなきなくなる。麻痺足に体重がかけられず、1本足で歩いている状態なのだ。だから独特の疲労感にさいなまれる。この疲労感は言葉や文字で説明するのが難しく、体験しなければわからないだろう。

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苦しいけど頑張る

34歳で脳出血を患い、永いことブン回し歩行を続けてきたので、腰痛や坐骨神経痛のオマケまで付いてしまった。しかし、最近、それは一昨年辺りからであるが、受傷20年目にしてわずかに膝が曲がるようになってきた。その兆候は5年ぐらい前から感じていたが微々たる変化なのでそう期待もしていなかった。

2年~3年と経過するうちに改善を実感するようになった。それで「尖足」に対してより矯正力のある靴ベラ型の装具を全額自己負担で作って新たな歩行訓練を始めたというわけだ。

歩行訓練には階段を普通に2足1段で上下するのが一番効果的だ。階段の上下は歩行に必要な体重の移動に伴うバランスのとり方、足を交互に上下させるときに必要な殿筋のトレーニングなど、歩くのに必要な全ての要素が含まれている。まだまだ不安定ではあるが手摺なしの2足1段で上下が可能になった。

障害者の場合わずかな変化を針小棒大に大騒ぎするきらいがあるので、手前味噌かもしれないが、かなりの改善があると実感している。階段リハビリというのは片麻痺障害者にとっては非常に辛い訓練である。1日2往復と無理の無い範囲で、継続を一番の目標に取り組んでいる。

使用する階段は買い物行く途中に必ず通る駅舎の階段である。ビルの階段は傾斜がキツイのでほとんど利用しない。午後は歩道橋にある極端に傾斜のゆるいバリアフリー階段を利用する。

最後に

階段が使えるようにならないと外に出て相当苦労する。駅とか地下鉄は階段だらけである。階段が使えないと行動がかなり制限されるので苦しいけど頑張るほかない。階段は無理と最初は諦めていた時期がある。その間の時間がもったいなかった。初めからあきらめないで頑張っておけばよかった。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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