労災の行方(8)

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1994年12月

近くにある病院のリハビリに通っていた。片麻痺はもうなおらないとわかっているのだが、他にすることもない。あるときPTが

「アキレス腱の延長手術をしてみたらどうだろう」

と言う。僕の足は非常に緊張が強いので膝が曲がらない棒足になっている。膝が曲がらないまま歩くので、足を振り回すか引きずるかになってしまう。そうすると膝に体重がかかるたびに膝がガチッとロックされてしまう。こういう歩き方をしているといずれ膝がボロボロになるという。それでこの予防策としてアキレス腱を5ミリほど延長するという方法があるらしい。主治医の診断を受け、95年3月1日の予定でオペの予約を入れた。

1995年1月17日 神戸で地震

朝起きてトイレを済ませ、テレビをつけると画面には黒々と黒煙を上げる映像が映し出された。アナウンサーが17日未明、阪神地方で巨大地震が起きたと叫んでいる。家屋やビル、高速道路が倒壊しメラメラと炎を上げる神戸市街地の映像に驚いた。

それからは終日被災地の様子や被害の状況、ボランティアーに向かう人々の列、政府の対応の様子が報じられた。僕の眼はまるで大蛇が横たわるように倒壊している名神高速道路の高架橋の橋脚に眼が釘付けになった。根元からポッキリ折れている個所もあればコンクリートがグシャグシャに砕けている部分もある。

高架橋の場合、床板を支える橋脚の上部にはシューという台座が付いている。このシューは1台数トンにも及び、床板と橋脚の接合部分は半球状の可動式になっていて、揺れを吸収して衝撃による圧力を逃がすようになっている。人間の間接のような感じである。このシューがワンスパンに4台ついている。

このスパンが数珠つなぎとなって高架橋の道路を形成している。つまり揺れが来ると蛇が胴体をクネクネとする状態になるから。露骨な倒壊は起きないようになっている。大蛇が腹を見せてひっくり返っているような倒れ方をしている名神高速を見ていると設計のミスか図面通りに施工がなされていないか、ということになる。

手抜き工事が原因で、こうも無残に倒壊したと思った。高架橋の土木作業員として働いていたから。土木の現場では資材の横流しなど当たり前のように行われていた。ある古参の現場監督は大型トレーラーで運ばれてくる鉄筋を現場では下ろさせず、廃品回収業者の工場に直接下ろさせその利益を関係者で山分けしていたと自慢げに話すのを覚えている。

フープ(帯状筋)が少ない

阪神淡路大地震から10日ほどたったある日。新聞を読んでいてとても気になる記事に出くわした。倒壊した高速道路の橋脚にはフープ筋(帯状筋)の数が規定よりも少ないと報じられている。
やっぱりなあ。絶対そうだと思った。高速道路が図面通りにできているなら、ああも無残に倒壊するはずが無い。誰かが鉄筋を間引いて地金屋にたたき売ったに違いない。以前湯布院の手抜き工事の隠ぺいをさせられた経験があるので確信を持ってそう言える。
湯布院の時は19ミリの鉄筋を使う所に16ミリの鉄筋を使用していたことを知っている。19ミリと16ミリの鉄筋の差額を誰かがポケットに入れている。1本の差額はわずかだが、1つの区間でも使う鉄筋の量は相当な量に上る。

道路公団へタレこむ

阪神高速道路が横倒しになっている映像を見ると、あの湯布院での橋脚の手抜き工事の件は道路公団に知らせておいたほうが良いと考えた。伊田さんには悪いがそう決心した。
彼は地震がきても大丈夫だと言っていた。けど、それは今度の震災で否定されたわけだし。事の顛末を書いた手紙を投函した。宛先は日本道路公団福岡事務局である。すると3日後に道路公団から電話があった。自宅へ来るというので了解した。

やってきたのは二人。一人はタレントの鈴木ヒロミツに似た40年配の男。出された名刺には技術部、保全第一課長藤田和義と印刷されている。もう一人は、俳優の河原崎長一郎に似た、いかにもインテリといった感じの、これも40半ばと言った感じである。建設部技術第二課長、大場治男と書かれている。
藤田課長が、
「これから話す事は全部録音させてもらっていいですか」

と、とんでもない事を言い出した。

「それは厭です、なんで録音せないかんとですか、裁判でもあるまいに」

と断ると、はい、わかりましたと言って話を続けた。

「お手紙をもらった件ですが、業者を呼び出して問い詰めた所、手抜き工事の件は認めました。白滝川橋P11と判明しました。しかし、鉄筋を切断したのは19ミリの補助筋で25ミリの主筋は切っていないと言うのです」

「えー、そうですか、それはウソですよ。25ミリの主筋を切ったのは僕ですから間違いありません。会社の命令で切ったとは言え、もし、地震が起きて、例の白滝川橋が倒壊して、死人が出たら自分も寝覚めが悪いですもん。その時直ぐに道路公団の検査の人に知らせるべきじゃなかったかと。そう思いますもん。金をもらっておきながら今更何を言うかと思われるでしょうが。こういう事はオープンにしてみんなで協議した方がよかと思いなおしたとですよ」

すると、藤田課長は、緊張した顔で、

「この件は他に言わないでほしいのですが、話が広まると混乱すると思われますので」

なんか自分たちの都合の良い事ばかりを言うので、

「じゃあ、例の橋脚を壊して作り直してくださいよ。まだ、大分道は開通しとらんけん、よかでしょうが」

「それはできません、主筋を切っていないというので、橋脚に鉄板を巻いて補強します。その前にエックス線透視装置を使って25ミリの主筋を切っているか、そうでないかを確認します」

と言うのである。鉄板を巻くぐらいで大丈夫かなと思ったが、道路公団の技術課長がそう言うのだから反論もできなかった。

「じゃあ、きちんと手直しをしてください。そしてこの事は新聞で広く告知してください」
とそういうと、大場課長は、

「わかりましたきちんと手直しをしてみなさんにお知らせします」
そう言って帰っていった。

道路公団が帰ってから色々と考えた。彼らが素直に手直しをするとは思えない。大分自動車道はほぼ完成し5月の開通を待つばかりの状況である。

そんな状況で橋脚の手抜きが発覚したので、手直しをしました、と言えるだろうか?業者に因果を含めてなかった事にしてしまうように思えてならない。誰か社会に影響力のある第三者機関にも知らせておいた方がよさそうだ。

新聞社へ

新聞社を一枚噛ませておいた方が良いのではないかと思った。普通なら僕の言う事など相手にされないだろうが、倒壊した名神高速を目の当たりにした今なら信じてもらえるかも知れない。新聞社の選定だが九州の事なので地元の新聞がよかろうと思って、西方新聞社の社会部へ電話をかけた。

「僕は大分自動車道で橋脚の手抜き工事を隠ぺいする作業をやらされたのですが、話を聞いてもらえませんか?」

「ええ、いいですよ。それじゃあ明日午前11時、本社のロビーまで来てもらえますか。場所は天神ですよ、わかりますね、僕は社会部の矢山と言います。」

会ってくれるというので、福岡市の本社ビルを訪ねた。矢山氏は30歳過ぎに見え無精ひげを生やしていた。挨拶が済むと二階へ行きましょうという。

「ここなら誰にも来ませんから」

と小部屋に連れていかれ、机の椅子に座った。これまでの経緯をまとめたA―4用紙2枚を読んでもらった。裁判所に調停を申し立てた時の資料を見せながら話すと、矢山さんは興味を示した。

「中竹土木には私も厭な思いがあるので、この資料を預からせてもらえませんか。新聞社の人間が行くと対応も違ってきますから」

などと言う。高速道の手抜き工事の件と、中竹土木はなんの関係もないが、中竹土木という名前を聞いただけで厭な思い出があるというので、何か含むところでもあるのだろうと感じた。そして、

「とにかく、その手抜き工事をしたという大分道の白滝川橋を見に行きましょう。社の車を用意しますので、しばらく待ってください。日時がわかったらこちらから連絡しますので、しばらく待ってください」

というので、資料を渡して西方新聞社を後にした。それからしばらく待っていたが何の連絡も無い。そうこうするうちにアキレス腱延長手術を受ける時がきた。福岡東病院に入院して身動きが取れなくなってしまった。入院中は足にギブスを巻いているのでトイレはベッドの横にポータブルトイレが置かれている。足を伸ばしたままなので苦しくて夜も満足に眠れない状態であった。ベッドの上でウンウン唸っているとあの事件が起きた。

1995年、3月20日、オウム事件

オウムの地下鉄サリン事件が起き、テレビはハチの巣を突いたようになった。3月末になるとギブスも取れたので、病院の公衆電話で西方新聞の矢山記者連絡を取った。

「あのう、高速道の手抜き工事の件で面談した山下ですけど、橋を見に行くという話はどうなったのでしょうか?」

「ああ、あれね。今はオウムの事件と阪神淡路震災の取材で人出が足りないので行けなくなりました」

とつれない返事である。確かに大惨事と大事件がふたつも続けて発生したのだから何も言えなかった。

道路公団が約束した手抜き工事手直しの件を新聞報道で利用者に知らせるという件もいっこうに掲載されない。道路公団の大場課長に電話をかけたが、返答がしどろもどろで容量を得ない、

「アナタではらちがあかん、局長と変わってください、直接話します」

と言うと、

「手抜きは補修して新聞にも告知しました」

「全部の新聞チェックしとるけど、そんな記事見た事無いです、嘘を言うたらイカンばい」

と気色ばむと

「大分の合同新聞に出しました」

と言うのである。たぶん嘘だろう、もし、出したとしても大がかりな補修とせず簡単な手直し程度の告知ですませたと思う。しかし、自分の力では、もうこの辺が限界という気がした。

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解けた謎

佐多建設と新世界土木はどうして脅しに屈したのか、以前から疑問だった。知らぬ存ぜぬで突っぱねればそれでいいのではないか。証拠が無いのだし、僕のような素人相手ならそれで済む事と思うのだが。それとも事実を言われて動揺してしまったのだろうか。相手が汚れならいざ知らず、僕のような障害者であれば、

「そんな事を言うと恐喝で警察に訴えるぞ」

とか、

「素人が、ましてや障害者が本職の汚れのような真似をしたらいかんよ、街を歩く時は転ばんようにしないと大怪我しますよ」

とこれぐらいの文句で十分な効き目がありそうなものだが。

コンクリートは一度固まったら、中を確認できないのだ。もし、コンクリートを壊して中の鉄筋が正常だったらどうやって責任を取るんだと詰め寄られれば真実を知らない第三者は何も言えない。佐多建設の現場監督が、飯場で夕飯食っていると、こんな事を言っていたのを思い出した。

「昔、お宮の鳥居を解体したら基礎のコンクリートの中から鉄筋の代わりに竹が出てきた。戦時中の建設だから鉄が不足して、鉄金の代わりに竹を入れたみたい。だから鉄筋コンクリートじゃなくて、コンクリートばい」
などと言うので一同で大笑いした事がある。

そんな事をあれこれ回想していると、ふっと思い出した事がある。そうか、あの件があったけん、佐多建設も新世界土木も僕を異様に恐れたとやな。

1984年11月。沖縄に行く準備をしている時だった。4トン積みのトラッククレーンに建設資材の積み込みが終わって休憩をしていた。作業を手伝ってくれた黒木という型枠大工がこんなことを話してくれた。

「あれは焼き山バイパスの工事の時じゃった。ピアー(橋脚の塔)ができたけん上部工の横桁を乗せる工事ばしよる時やった。クレーンで吊り上げた桁を地面に下ろし始めたけん、何事かと思うたら。ピアー(橋脚の塔)に桁が乗るらんやった。所定の位置より30センずれてピアーが立っとった」

そんなことがあったのかと吃驚して、

「で、工事は佐多建設でしたとですか?元請けはどこですか?」
「うん、工事は佐多よ。元請けは新世界土木やった。あんときは夜通しで解体してまたピアーを最初から作り直して大ごとやったばい」

橋脚ができたので横桁を乗せようとしたら脚が30センチずれた位置に立っているので組み立てが不可能という実に単純なミスである。その時の元請けが新世界土木なのだ。

つまり湯布院のミス工事で2度目ということになる。そういう背景があるのなら作業員からタレ込みがあっても道路公団は信用するだろう。そういうわけで佐多建設専務も新世界土木も恐れたというわけか。これで長い間の疑問が解けた。

恐喝まがいの事をして、当初は多少の後ろめたさがあった。しかしながら、つらつら考えるに、彼らは道路公団に大きな貸しを作ったのではないかと思えるようになった。

この件が露呈すれば、道路公団も責任を追及される。公団が業者に罪をなすりつけ、入札停止などという処分を下せば、彼らは開き直ってこの事を公表すると逆ネジを食らわしてやれば良い。

公団は自分たちにも火の粉が飛んで来る事を恐れ、大いにうろたえるだろう。今後佐多建設と新世界土木の工事受注量が増える事はあっても減る事はあるまい。佐多建設で伊田さんは当時専務だったが、今回の件をうまくさばく事で社長に就任している。彼らは公団も含めて今後も持ちつ持たれつの関係を続けていくだろう。自分は一矢報いたつもりになっていたが、結果としては彼らに利益を与えてしまったのかもしれない。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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