労災の行方(7)

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地震

「1989年10月17日17時4分にアメリカのカリフォルニア州北部で地震が発生し高速道路が倒壊した」

と報じられ仰天した。すぐに佐多建設の伊田専務に電話をかけた。

「やっぱ。例の件は公団に言うた方がよかですよ。でないと地震があったら一発で倒れますばい」

「山下君、ちょっとまたんね。今度のアメリカの地震で高速道路が倒壊したとは工法が古いけんたい。今は技術も進んでいて大丈夫、少々の地震では倒れることはなか。それよりまた話会おう。明日にでも福岡支店に出てきてくれんね」

言われるまま佐多建設の福岡支店を訪ねた。スレート葺きの事務所は新幹線の高架橋の近くにあった。外側の階段を上って事務所に入った。伊田専務と他に見知らぬ男が奥の応接セットの椅子に座って待っていた。

「ああ、山下君、そこに座らんね」

彼らと向かい合って腰をおろした。

「この度は山下さんに大変ご迷惑をおかけしまして。新世界土木の福田です」

知らない男が挨拶をしたので、僕も軽く頭を下げた。

「今度のアメリカで起きた地震で高速道路が倒壊したとは建設工法が古いけんよ。あの頃はフープ筋を巻いとらんんやったけんね、そいで弱いとよ。今は100ミリピッチでフープば巻くけんね。全く問題なかよ。公団がそげん言うとるけん間違いなかばい」

フープ筋というのは垂直に立つ主筋に10センチ15センチ間隔で巻いていく帯状筋のことである。古くはフープを巻いてなかったが、現在の工法では巻くようになっているので安全だと伊田専務が力説する。

「で、俺にできることは何かなかね」

いくらか金をくれと内心思ったが口に出せなかった。その代わりにこんな提案をした。
「毎月3万円ずつの支払はアンタんところの会社が倒産したらどうもならんけん。見舞金の残金ば一括で払うて欲しいところですが。あんまり無理も言えないでしょうけん。俺が車を買い替えるけん。そのローンを残金の分払うてくれんね」

「毎月の支払の代わりに自動車ローンを俺が払えばよかとじゃね」

それぐらいなら簡単な事と伊田専務は了承した。こうしてまた車を買い替えることになった。石田自動車を訪ね、カタログを吟味し、ダイハツシャレード1300CC3ATを選出した。オートローンの手続きは石田さんにまかせた。しばらくして納車されたシャレードを見てまり子は目を丸くした。
中小の建設会社などいつ潰れても可笑しくない。現金かそれ相応の価値のある商品を手にした方が安心である。
しかし、落ち着いて良く考えてみると、新世界土木と佐多建設の狼狽ぶりはなんか大袈裟すぎるように思える。手抜き工事を示唆するハガキなどなんの証拠も無いのだから無視すればいいだろうに。一作業員の言う事など道路公団が相手にするとは思えないし。たった一枚のハガキで要求を全部飲むなんて。佐多建設の豹変ぶりにも不自然さを感じる。

釧路沖地震  

1993年1月15日午後8時6分、北海道釧路市南方沖でM7・5の地震が発生した。また伊田専務に電話をかけた。

「専務、やっぱ道路公団に言うて工事のやり直しをした方がよかですばい。九州もいつ地震のおきるかわからんけん」

「まあ、まあ、山下君待たんね。また会おうやなかね。君のその後も心配しちょったやけどね。行き場が無いのなら福岡支店に遊びにおいで明日午後1時に待ってる」

在宅障害者という浮世離れのした日常は死ぬほど退屈なのだ。まともに相手にしてくれる者なぞ滅多にいるものではない。僕はダイハツシャレードに乗って佐多建設福岡支店まで行き、玄関のドアーを開けた。事務所の奥のデスクに座っていた専務が顔をこっちに向けた。

「こっちに来んね」

マヒ足を振り回しつつ、チンガタンチンガタンと狭い通路を歩き、応接用の椅子に倒れるように座った。パソコンの画面に向かっていた伊田専務が僕と向かい合って座る。中年の女事務員がお茶を持ってきた。

「なあ、山下君、俺はどうすればいいね。今は俺が社長じゃけん、前よりかは融通も効かせられるよ」
「どうすれば良いかち言われても…、そらあやっぱ。公団に手抜き工事の事を言うのが一番でしょうたい」
「だから、それは困るとよ。どうしたら君が納得してくれるかなと思うて…」

いくらか金をくれと内心思ったが、それを口に出す勇気は無い。言うと恐喝になってしまうかもしれないと危惧した。伊田専務、否、伊田社長も金をやるからこの件は黙っていてくれとは言わない。これは先に言った方が負けになる。この日は黙って帰った。

この落としどころをどうつけようかと思案した。
そうか、伊田さんが佐多建設の社長にね…。
元請けの秘密情報を握っている僕をコントロールできるのは彼だけなので、会社内で発言力が増したと言う事か。僕が新世界土木を脅せば脅すほど彼の立場は強くなっていく。この件をうまく利用して新世界土木を伊田さんが脅かす事も可能なわけだ。

事がここまで進展した以上、元作業員に脅されていると警察に訴えられる事はないと思う。しかし、万が一という事も考えられる。この前、土木作業員が手抜き工事をネタに会社を脅して、警察に逮捕されたという記事を新聞で読んだ事を覚えている。3000万円も要求したというから馬鹿な奴だ。もっと金額を下げて交渉すれば話はまとまったかもしれないのに。

どの企業にも自由に使える機密費というのがあるはずだ。その範囲内での要求にすべきだ。給料が10万円の相手に7万円も8万円も要求すれば驚いて警察に駆け込むだろう。相手を追い詰めるのは良くない。こっちだって訴えられればお縄になる。最悪、警察の代わりに暴力団が出てくる場合も想定しておかねばならない。土木業界と暴力団のもちつもたれつの関係は世間周知の事でもあるが、表面上ではそういう事は無い事になっている。世間とはそうした物だ。

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テレビを使おう

そうだ、テレビを使おう、このネタをテレビ局に持ち込んでみよう。で、テレビ局から新世界土木になんらかの形で接触があれば良い。テレビにタレこむ前に新世界土木へ手紙を書くのだ。公団には言わないけど、テレビに言うと。新世界土木に手紙を書いて次はニュースセンターという番組にも手紙を書いた。3日目の夕方自宅の電話が鳴った。

「モシモシ、山下さんですか。こちらはニュースセンタースタッフルームの島川というものですが、お手紙拝見しました。手紙の内容に間違いはありませんか?」

「はい、山下です、ええ、手紙の内容に間違いありません」

「新世界土木を少し調べてみました。商社、角紅、系列の中堅のゼネコンですね。年間完工高は300億、官庁関係に深く食い込んでいるようです。まだ、確定ではありませんが、テレビに出てこの事を話してくれませんか。顔は出さないようにしますから」

さすがに情報収集が素早い、そしてテレビが反応した事にしめたと思った。
「ええ、いいですよ」

「それじゃあ、また後で連絡します」

テレビが連絡してきた事に興奮した。これからどうしようかとあれこれ考えると、なかなか寝付けない。未明ごろやっと眠くなってきたが、脳のどこかが興奮していて熟睡はできなかった。眠いような眠くないような、変な気分で朝食を済ませると10時ごろ電話が鳴った。

「はい、山下です」

「佐多建設の伊田ですが、明日、福岡支店まで遊びにきてくれんかな、話もあるし」

この電話で眠気はどこかへ行ってしまった。昨日のニュースセンターとのやりとりを思うと、テレビの人間が新世界土木へ探りの電話でも入れたのか?それで慌てた新世界土木が佐多建設の伊田社長に相談したのだろうか?

次の日午後1時、佐多建設の福岡支店を訪ねた。プレハブ事務所の奥にある応接室へ通された。すでに伊田社長と新世界土木の人間と思われる2人がすでにソファーに浅く腰かけて待っていた。3人は僕に愛想笑いを浮かべた。通り一遍の挨拶が終わると新世界土木の2人は別室へ消えた。伊田社長が身を乗り出して、

「な、俺はどうすればいいね」

「そりゃあ、道路公団にあの事ば言うて、橋脚を作り直すとが一番でしょうたい」

伊田さんは苦い顔をした。

「だから、それはできんと言うとるじゃろうが…」

弱り切った態度を見て、頃は良しと思った。言いにくい事を切りだすにはタイミングが必要なのだ。

「わかりました、そんなら車1台分で手を打ちまっしょうか」
「そうしてくれるか、で、いくらね」

「300、俺も汚れじゃなかですけん、無理は言いまっせん」

本当は1000、と言おうと思っていたのだが、素人の悲しさ、夢のような金額を口に出す事ができなかった。
伊田さんは新世界土木の2人が入った部屋へ行くと直ぐに出てきた。

「向こうに話したら了解したよ」

それから新世界土木の2人はそそくさと事務所から出て行った。伊田さんと二人になると、

「なあ、山下君、明日午前11時にここにきてくれんね。それと、そのうちに博多の料亭で新世界土木に一席設けさせるよ」

などと心にもない事を言う。

次の日約束の11時に佐多建設を訪ねると、昨日の新世界土木の
2人がきていた。僕が顔を見せると伊田さんと3人で応接室の隅でコソコソ始めた。そして伊田さんが近づいてくると、そっと厚い茶封筒を差し出した。封筒を覗きこんでビッシリと詰まったクジラ札を確認してショルダーバッグにしまった。

「これに名前と受け取りを書いてくれんね」

伊田さんは用意していた紙切れを差し出したので名前を書いて拇印を押した。
ニュースセンターへは都合が悪くなったので、テレビで話す件はお断りします、とハガキに書いて投函した。次へ

こうして思わぬ大金を手にした僕は車を買うことにした。どうせ競艇に使うか、他に浪費するかに決まっているからだ。若いころから貯金ができない性格なのだ。石田自動車に相談して、日産プレセアを購入した。合計で諸経費込み200万円弱だった。残金は訳の分からないうちに消えていた。

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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