実習生

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昭和60年11月1日が福博身体障害者リハビリセンターへの入所日である。五つ歳の離れた弟の繁男に車で送ってもらった。博多駅からそう遠くない人口3万人強の鄙びた街にあった。

リハビリセンターでの入所生活は、午前中は2時間。午後からも2時間の理学療法や職業前訓練といったプログラムが組まれている。およそ100人の障害者が寝泊りしながら社会復帰に向けて、訓練に汗を流していた。

実習生

入所して翌年の夏のことである。各地のリハビリ学院から20歳の夏子、文子、美穂子の3人が実習にやってきた。3年間の学業の他に1ケ月の実地体験がないと、理学療法士や作業療法士の国家試験が受けられない決まりだという。彼女らはボランティア用の部屋をあてがわれ、入所者と一緒に暮らして実務を学んでいくのである。僕はいつの間にか15歳という歳の差を越えて美穂子と仲良くなった。娯楽室で二人になったとき、何気に、
「オイ、美穂ちゃん、おっちゃんと唐津シーサイドホテルに行こうぜ。海の見える部屋がとてもロマンチックだ」

からかい半分に言ったのだが、

「うん、いいよ、行こう、行こう」

美穂子はさらりと言った。

「ばってん、お金が無いけん、止めとこう」

財布には千円ぐらいしかなかった。

「よかよ、うちがお金は出すけん、行こう、行こうよ」

あまりにも調子がよすぎるので、からかわれているのかなと思った。

「美穂ちゃん、ほんとか。学生でお金、もたんやろう。全部で5万円ぐらいはかかるよ。それに訓練課長にバレたら怒られるぞ」

美穂子はやや厚い唇を舐めながら、

「お父さんに言うたら直ぐお金はもらえるけん、大丈夫よ。ネ、絶対行こう。障害者でそんな事言う人って、どこにもいないけん、面白かあ~。バレないようにすればいいとよ」

と好奇心全快である。男とホテルに行くというのになんともくったくがなかった。

唐津へ

ヨシ、それならばと、さっそくリハビリセンターの公衆電話から唐津シーサイドホテルに電話を入れ、ツインの部屋を予約した。週末になると外泊届けを出し、二人とも別々にセンターを出て最寄りのバス停で合流した。バスで博多駅まで出て、JR筑肥線に乗り換え東唐津駅で下りた。タクシーでシーサイドホテルを目指した。ここまでおよそ3時間かかった。

フロントに4半時ごろ着くと宿帳に記入し、部屋のキーを受け取って402号室へとエベーターで向かった。部屋は見事なオーシャンビューで玄界灘はキラキラと輝いている。僕は窓際で海を眺める美穂子の右横に並んで、抱き寄せ、唇を重ねた。バランスを崩して倒れそうになったので、ベッドの上に倒れこんで唇をふさいだ。舌を入れると美穂子もチョロチョロッと応じた。

時計を見ると6時になっていた。エレベーターに乗って10階の展望レストランまで上がった。梅定食とビール1本を注文。やがて出されたイカとハマチの刺身を肴にビールを飲んだ。久しぶりのビールでポッとなった。歩行に支障が出るかと思ったが影響はほとんどなかった。

部屋に戻るとジャージーを脱いで、短下肢装具をとって伝い歩きで浴室まで行き、シャワーを浴びた。体を拭いて浴衣を着ようとしたが丹前帯が締められない。美穂子が手伝った。僕のシャワーが終わると今度は女が浴室へ消えた。ベッドに入って、ドキドキしながら待った。また脳出血がおきやしないかという不安が頭の中をよぎった。が女の浴衣姿をみて不安は消し飛んだ。女は僕の左側に寝た。動く方の右手で女の顔を引き寄せた。キスすると舌をからめてきた。右手でブラジャーをはずそうとやっきになった。しかし片手でするので、なかなかはずれない。女が自分でとった。白くプリンプリンした豊満な乳房が現れ、むしゃぶりついた。

動く方の右手でパンティーを下におろそうとやっきになった。興奮してゴソゴソしているうちに麻痺側の左手が、ベッドと壁の隙間に挟まったので身動きできなくなってしまった。

「あ痛たたた~」

何事かと美穂子はベッドを出て様子を見るや、

「アッハッハッハ」

と大口を開けて笑った。そして僕の麻痺している左手を抜き出してくれた。この事件でロマンチックなムードは消し飛んだ。

二人はビールの酔いも手伝ってか明け方まで爆睡した。8時に朝食をとって、9時半にチェックアウト。美穂子は2万4千円の料金を払った。それからタクシーで東唐津駅へ向かい、JR筑肥壱線に乗って、日曜日の午後には無事にリハビリセンターへ戻った。

リハビリセンターへ戻ると何食わぬ顔で食堂へ行くと飯を食った。美穂子も少し遅れてやってくると、そばにいた入所者たちと談笑しながら夕食を食べていた。美穂子はPT志望だったので訓練課長の西園先生の指導を受けていた。訓練中はさすがに神妙な面持ちで会ったが、夕食も入浴も終わり、8時ぐらいになると娯楽室へやってきてテレビを見ている様子は普通の若い女だった。ある晩、僕が居室で一人でいると、廊下を美穂子が歩いてきた。手招きすると部屋に入ってきた。廊下に人がいないのを確認すると、居室のドアーを閉めて鍵をかけた。ベッドに押し倒すと唇を重ねた。がすぐに離れて何ごともなかったように美穂子は出て行った。そして1ケ月の実習期間が終わると彼女らはリハビリセンターを去っていった。

あの頃は20 歳だったから今頃は53~4歳ぐらいになっているだろう。あれからどんなPTやOTになったのだろうか?

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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