軽運送の想いで

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福岡県北部に糟屋郡と宗像郡という隣接した地域があります。僕は糟屋郡の古賀町(現古賀市)にいました。今もそうですが。

歩行訓練

リハビリセンターの寮母を口説いて所帯を持ったのです。妻は職場に行きます。僕は9時になると花見の海岸(9000歩)まで歩くのを日課としておりました。田舎町のことなので国道も狭く、歩道はところどころしかありません。それも道路とは恐ろしく高低差があります。ぶん回し歩行なので死ぬほど疲れました。足が上がらないので、装具を付けてぶん回すしかありません。麻痺腕は全廃で、緊張するとL字型に曲がります。

歩行訓練の帰りにスーパーで買い物をして帰ります。これで午前中が終わります。お昼を食べると夕食の準備にかかります。新聞の料理コーナーを見て献立を決めていました。結婚して1年ほどすると少し気持ちにも余裕が出てきました。新聞を見ていると、軽運送のアルバイト募集の広告が眼につきました。自家用車の持ち込みで、お中元の配達をするというのです。報酬は出来高制で、配達した分に対して賃金がもらえるのです。

アルバイト

募集先を見てみると、宗像軽運送とあり、住所もわりと近くでした。家に軽自動車が1台あるのでこのアルバイトに応募の電話をしました。障害者でも雇ってくれるかどうか心配でしたが、オッケーというので、早速、行ってみました。福間か津屋崎だったか。畑の中にプレハブの倉庫がありました。数人の人が軽トラや箱バンを持ち込んで配達する商品の受け渡しをしておりました。

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くびになる

僕も住所の近くへ配達の商品を分けてもらいました。伝票をもらい商品を車に積んで配達するのですが、片手で伝票と商品を持ちながら門扉をあけるとか。とても大変でした。団地でエレベーターの無いところへの配達や、一軒家で犬に吠えられると、体が固まってしまいます。そんなこんなでとても仕事になりませんでした。1週間すると、運送屋の社長が、見かねて、今給料を清算してやるので、止めなさいと言われ、従うしかありませんでした。その気はあっても手足が動かない現実には抗えませんでした。

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

まこっちゃん

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