脳卒中リハビリ、鉄は熱いうちに打て

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200811150735

歩けるようになるか。そうでないかはだいたい半年ぐらいで決まる。それ以降になると車いすから離れるのは容易ではない。発病当初は平行棒の中で訓練をするわけだが、麻痺した体を訓練するって想像以上に大変なのだ。発病当初は患者もやる気があるので、この時期に多少なりとも歩けるようにならないと次第に難しくなる。

元々がもう治りませんと医者から宣告されているわけだから。諦めてしまうことも多い。ただ、治らないけど慣れることはできる。麻痺をかかえたままそれなりに生活するひとは結構多い。

鉄は熱いうちに打てというが、麻痺のリハビリも同様だと思う。やる気のあるうちの方が訓練を頑張れる。車いすや寝たきりだと褥瘡ができるから。頑張って歩くようになったがいい。文字にすれば簡単なんだけど。実際やるとなると大変なんだよねえ。

歩かないと足がむくんだりもするし、関節や筋肉がだんだん固くなるので、やっぱり辛くても運動は欠かせない。要不要の法則によって人の体はそうなっているみたい。使わない筋肉や神経は退化する。そういうことのようだ。

麻痺側の爪も使わないから巻爪になってゆく。ちょっと深爪するとすぐに血が出る。足がひどい巻爪になると指に食い込んで痛くて歩けなくなる。

杖を取るのも早い方が良い。自分が杖を取ったのは7ケ月だった。最初は不安でたまらなかった。しかし1週間もすると平気になった。自分自身で歩けないという意識があってそう思い込んでいる。もう治らないって周囲から言われるからどうしてもそうなってしまう。訓練士側も無理強いして怪我でもされると責任問題になると困るので、安全策を取らざるを得ない。杖を取るとらないは自分で判断するしかないのである。

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最後に

装具も同じ理由で早くとった方が良い。装具なしで屋外も歩こうと思えば歩けるがくじいたり転んで骨折でもしたらという思いがあって32年経っても屋外歩行には短下肢装具がはずせない。脳がそう思い込んでいるのである。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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