麻生太郎財務相の麻生家とは

スポンサードリンク

安倍総理や麻生財務相に牛耳られている自分たちは、彼らの都合の良いようなシナリオで踊らされていく。世襲議員というのは強い。麻生さんの先祖というのは、筑前の国の国人だった。

戦国時代は国人

大名というほどではないが、数町歩の田畑を持ち、食えない親類縁者を冷飯食いとして養い、見込めそうな若者に古い兜を被らせ、騎馬武者とした。百姓を足軽とし、有力な勢力の陣触れがあると細々と出陣し触れに従っただろう。それなりの身支度を整えることのできる勢力だったようである。当時の麻生氏の詳細を述べた書物は見当たらない。

近隣地侍と小競り合いを重ね、やがて豊臣秀吉の九州出兵から関ケ原を経て、黒田長政が筑前52万石の領主として入部する。この時の国人らが庄屋とされる。こうして筑豊の地で地主として百姓らを従えるようになった。

この地で、昔から燃える石として知られていたものがある。それらは地域の住民が燃料としていたが、匂いがするし黒い煙が出るので、貧乏人の煮炊きの燃料として細々としたものであった。これがのちに石炭と呼ばれるようになる。地主というのは多くの農奴を抱え納屋に住まわせていた。畑作業の合間に燃えるえる石も採掘されていた。

当時は穴を掘らなくても地上にいくらでもあったが、産業革命で蒸気機関のエネルギーとして需要が拡大すると、穴掘りの炭鉱屋が登場する。地中に深く潜ってする作業だから、危険極まりないので、みなやりたがらない。自然と賃金が高騰する。それを聞きつけた各地の食えないあぶれものが、筑豊へと集まってくる。

彼らを農家の納屋に住まわせ、屈強な男が力で彼らを支配した。これが納屋制度と呼ばれる。簡単に言うとタコ部屋である。こういう時代背景の中資本力のある面々や、裸一貫で炭鉱主にのし上がるものが出てくる。その中に麻生太吉がいる。この人物が麻生太郎さんのご先祖である。太郎さんは曾孫になる。

戦後になっても麻生一族は政界や経済界に打って出、一大勢力を形成してゆく。麻生家の筑豊支配の歴史は古く、麻生家の惣領に逆らうものはいない。というよりも反社会的勢力ですら逆らえない。

スポンサードリンク

最後に

近代ヤクザの発祥は筑豊の石炭採掘と運搬が切っても切れない関係にある。先祖をたどればみな麻生家と何がしかの縁がある。そういう地縁血縁が息づいているから選挙になるとめっぽう強い。安倍さんのように右翼や暴力団に襲われることもない。一連の財務省の不祥事を横目で見ながら自分なりの麻生観を述べてみた。

The following two tabs change content below.
まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

スポンサードリンク