脳卒中、リハビリは継続なり

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脳卒中というのは脳梗塞や脳内出血による病変で脳脳細胞の一部が壊れている状態。そうすると人はどうなるかというと。体の片側半分が麻痺してしまう。脳は右脳左脳とふたつにわかれていて、真ん中で脳梁でつながっている。脳から伸びている神経はX状に交差しているので、右脳が壊れれば体の左半分が麻痺する。

左脳が壊れれば体の右半分が麻痺するが同時に言語障害も伴うことが多い。出血や梗塞の部位により後遺症の出方は人により様々である。比較的軽い症状で、見た目には健常者と変わらないぐらいに回復する人もいれば、重い装具を付けて暮らさねばならない人や車いす利用を余儀なくされるケースもある。

一度死滅した脳細胞は絶対に元に戻ることはない。否そんなことはない、元通りに治った人を知っている。という人が時々いる。麻痺の程度が非常に軽く、障碍者手帳4~6級程度の場合なら訓練のやりかたと血のにじむような努力があればほぼ完治したといわれる状態の人もまれにいる。しかし、その人の動作を仔細にみると後遺症が残っている。

蛇の道は蛇である。同病者がみればすぐにわかる。装具なしで歩いている人もよく見ればごくわずかに足を引きずったり振り回したりしている。足関節もわずかに内反しているばあいがほとんどである。手も動くが健常時のようには使えない。

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180日の限界


しかし、一見すると治ったように見えるので、軽い麻痺でも辛さがわかってもらえず、怠けているのではないかと誤解されたりもする。手足のマヒの他にも顔がシビレてヨダレがでてもわからない。体温の調節機能も損なわれる。冬は麻痺側の手足が氷のように冷たくなり、夏は体温が籠って手が異様に暖かくなる。

わけのわからないめまいや吐き気などの不快感もあるが、MRIを撮っても異常なしと言われる。まあだいたい以上のような後遺症に悩まされながら片麻痺者は生きてゆかねばならない。

だいたい半年で脳のダメージ回復は終了すると言われている。これ以上良くならないから出て行ってほしいと退院を余儀なくされる。しかし患者はこんな体で帰っても仕事にもいけないし、日常生活すらおぼつかないと頭を抱える。

他にリハビリをやってくれる病院はないかと探し回るが、脳卒中系のリハビリには180日の限界がある( 病院でリハビリを受けられる期間は150日(重度の場合は180 日)以内と定められている)

後は自分でやる自主訓練か、お金があれば専門のPTかOTを雇って訓練を続けることになる。しかし、これにはもうすごい金額のお金がかかるのでよほどのお金持ちでないと訓練を維持できないだろう。

なんせこのリハビリは1年や2年やってらちがあくというものではない。10年~20年~30年と続けて成果が表れる性質のものである。それに気の遠くなる忍耐力と孤独に耐えうる精神力も必要となる。それはまるで戦国時代の伊賀忍者たちが己の技術を高めるために血のにじむような鍛錬をほうふつとさせる。

最後に

脳卒中のリハビリとは本当に辛いものである。何せやってもやっても変化がないものだから先が全く見えない。半年が過ぎると病院からも見放される。もうあとは一人でコツコツと自主訓練するしかない。何をどのようにすれば改善が見込めるか。全くわからない。否、もう治らないのである。それでも藁にもすがりたい気持ちになる。同じような境遇を話し合う相手もいない。孤独感にもさいなまれる。それでも続けなければならない。運動をやめたなら関節が拘縮し体が硬くなってゆく。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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