福岡県と障害者

スポンサードリンク

 

古賀市は障害者と縁が深い

写真は立花山の遠景。一番高いのが立花山で、豊後の守護大名から戦国大名へ転身した大友氏の筑前支配の拠点として山城が築かれました。大友氏の家老戸次 鑑連が支配していたが、後に自らが戦国大名となり、立花氏を名乗るようになります。現在の所在地は新宮町であるが、古賀市と隣接し戦国の頃は、糟屋郡薦野、青柳、小野、筵内(現在の古賀市内)といった土地を支配していた薦野 増時(こもの ますとき)も立花氏の支配下にありました。

僕の住む団地のベランダからも立花山が見えるので、時々、眺めては障害者と立花城の浅からぬ因縁に想いをはせ、下半身不随の戦国大名がこの地を支配していたと思うと感慨深いものがあります。

福岡の地名の由来は

福岡という地名の由来は福岡藩祖である黒田長政が、関ヶ原の戦功で筑前52万石領主として名島城をもらいうけました。それから早良郡福崎村に拠点を移すときに作った城下町を福岡と呼ぶようにしました。黒田家の中興の地ともいわれる備前の国の邑久郡福岡の地名が縁起が良いという理由です。黒田長政の父親である黒田官兵衛は片足切断の障害者でした。また、糟屋郡薦野で4千石を領していた国人領主薦野増時(こものますとき)が家老として仕えていた立花城主・立花道雪も下半身が不自由でした。戦に出るときは家臣に輿を担がせて、鞭を振るって下知し敵陣に向かい、無類に戦が強かったと伝えられています。

以上のように筑前の国糟屋郡の領主は障害者であったわけで、立花氏の旧領地の住民としては先人の偉業を忘れてはいけません。また、黒田藩祖である黒田官兵衛も片下肢の障害者でした。福岡県民は障害者とは非常に縁がありますね。

黒田 官兵衛

織田家の重臣で摂津国を任されていた荒木村重が信長に対して謀反を起こし、有岡城に籠城した(有岡城の戦い)。さらにこの時、主君の小寺政職も呼応しようとしたために、10月、孝高は村重を翻意させるため交渉に有岡城に乗り込んだが、成功せず逆に幽閉される。1年後、天正7年(1579年)10月19日、本丸を残すのみとなっていた有岡城は開城し、孝高は栗山利安に救出された。その後、姓を小寺から黒田に戻している。(出典:ウイキペディ)黒田氏の詳細はここ

有岡城の土牢に幽閉されていた時の影響で足が腐りかけたので切断したという。司馬遼太郎の小説では足を切断して木をくくりつけて以降はビッコをひきながら戦場に出たとある。また、松本清張の本では輿に乗って下知したとある。たぶん膝の関節から下を切断したのだろうと思う。現代なら片下肢切断身障手帳1種4級に相当する。

スポンサードリンク

立花道雪

道雪は若い頃(35歳のころ)に下半身不随になったとされる。時期に関しては正確には不詳であるが、『大友興廃記』では道雪が故郷の藤北で炎天下の日、大木の下で涼んで昼寝をしていたが、その時に急な夕立で雷が落ちかかった。枕元に立てかけていた千鳥の太刀を抜き合わせ、雷を斬って涼んでいたところを飛び退いた。これより以降、道雪の足は不具になり、出陣も駕でなければかなわなくなった。されど勇力に勝っていたので、常の者・達者な人より優れていた。さて千鳥の太刀だが、雷に当たった印があった。これより千鳥を雷斬と号するようになった、とある。

こうして障害者となった道雪であるが、家臣に手輿を担がせて自らは輿に座り、2尺7寸(約82センチ)ばかりの刀と鉄砲1挺、それに腕貫をつけた長さ3尺(約1メートル)の手棒を常に側に置いた。手輿の周りには長い刀を持った100人ばかりの定衆と名付けた若者が、徒歩で固めていた。戦いが始まると、その若者に輿を担がせ、敵が間近になると手棒で手輿の縁を叩いて自ら「えいとう、えいとう」と大声で音頭をとり、敵陣に突っ込ませた(出典:ウイキペディア)

ビートルズのジョンレノンの奥さんである小野ヨウコさんのルーツは立花家とつながりがあった。

2018年8月に応募した九州文学賞の作品(いぬねこや伝説)の中で、何気に小野鎮幸という人物を鉄砲隊の物頭として登場させたのですが、その人物が小野ヨーコさんの遠いご先祖様だとは思いも及ばぬことでした。ネットで検索すると以下のような記述が色々とでてきました。

オノヨーコさんのご先祖様は立花宗茂と、宗茂が関ヶ原で改易後に加藤清正に仕えた小野和泉守鎮幸という人です。小野氏は後に立花家が柳川に返り咲くと帰参して再び立花家家臣となっています。
つまり、
小野鎮幸
|
|
(数代)
|
小野英二郎
|
小野英輔
|
オノヨーコ

The following two tabs change content below.
まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

まこっちゃん

最新記事 by まこっちゃん (全て見る)

スポンサードリンク