西南戦争の傷病兵はどうしたのか

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NHK大河ドラマ「西郷どん」毎週見ています。西郷と大久保は意見の対立から西南戦争で終わりを迎えますね。その戦争で怪我人が大勢出るわけですが。その怪我人で、より重度の人を車力に乗せて、薩摩街道(現国道209号線)久留米の病院へ運んだと聞いています。

国道209号は子供の頃よく通っていたのでこの話に興味がわきました。当時の様子を見ていた古老の証言だそうです。田原坂の激戦で重傷を負った人が車力に乗せられ、ゴザをかけられてうめき声を上げながら通っていく様子を見ていたといいます。

怪我人は久留米へ

当時は久留米にしか西洋医学の治療院はなかったようです。この施設が後に久留米の医学専門学校となります。そして現在の久留米大学医学部となったと推測しています。このような流れの話は久留米医大のHPにも記載がありません。

戦国時代のような刀や槍の怪我なら民間療法や漢方医でも対処できたと思いますが、西南戦争は日本人が初めて体験した近代戦であります。螺旋を切ったアームストロング砲や、椎の実型の尖頭弾を使用した鉄砲などの最新兵器の威力はすさまじく、怪我の状態がより重度化していたと考えられます。

傷病者の保養所として筑後市の船小屋温泉が明治政府から指定されたようです。

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西南戦争とは・・・

明治維新の英雄、西郷隆盛率いる薩摩軍(以下、薩軍)と明治政府軍(以下、政府軍)が戦った西南戦争。1877年(明治10年)2月から9月の約7か月間にも渡って戦われたこの戦争は、西郷の自刃で薩軍が敗北して終わります。両軍の戦死者は実に1万4000人に上ります。西南戦争は、明治時代初期に起きた不平士族(武士)の最後の反乱であり、日本史史上最後の内戦でもあります。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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