黒猫フェリックスの想いで、

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黒猫フェリックスが

アメリカ海軍航空隊のマスコットキャラクターだと知ったのは中学3年の時。エアーフィックスから1/72シリーズでF2Aバッファローが発売されキットを購入して、ドキドキしながら箱を空けた。すると黒猫が爆弾を抱えたデカールが入っていて、痛く気に入ったのである。黒猫フェリックスは小学6年ごろテレビアニメで放映されていた。「フェリックスちゃん♪お利口猫ちゃん♪」というテーマソングが流れ、黒いカバンを下げたフェリックスが登場してストーリーが展開するというものだったと記憶している。

それからF2Aにも熱心になっていった

どういう訳かズングリした機体に魅せられてしまうのであった。当時クラスの中に好きな女の子がいて、小太りでズングリしていた影響かもしれない。以来爆弾を抱えたフェリックスに夢中になった。中学を出ると日野といすゞのトラックの荷台を作る下請けの工員になった僕は東京町田の工場に飛ばされた。当時の駅名は小田急線で「新原町田」と書いてあったと思う。

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当時の町田は一面が芋畑であった

しかし、駅前の喧騒は九州の田舎者にはまばゆいばかりであった。先輩に連れられて入った食堂で生まれて初めてやきそばというのを食べた時、世の中にこんな美味しい物があったのかと驚いた。見る物聞く物すべてが珍しくプラモ作りから離れていった。というよりもプラモを作ろうにも工員の寮は大部屋で作れる雰囲気ではなかった。

町田の工場は半年で辞めて故郷の当条に戻って、工員を転々としていた。そして20歳の時、廃車同然のスズキフロンテ360を月賦で購入した。そしてドアーにフェリックスのマークを手描きした。プラモの塗装に使っていたタミヤのプラカラーが残っていたのでこれを使った。


以来、車には良く描くようになった。手描きだと実感が出ないので、看板屋さんに頼んだ。

 

 

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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