ドローンとはなんだ。

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そもそもドローンとはなんぞや

第二次大戦中にそのルーツはあるという。
標的用無人航空機として開発がすすめられた。
軍事用の無人航空機を指すようになった。
アメリカがアフガンで使用したプレデターのようなものだろう。
アメリカ本土にいながらゲームのように操縦し、遠隔操作で
爆撃をして騒がれたことを思い出す。
蜂の羽音、もしくは雄蜂のことで、そこからアメリカ軍が非公式
に、小型無人機を呼ぶようになった。
今のような小型無人航空機がドローンとして知られるように
なったのは2010年にフランスで発売されたAR Droneという複
数のプロペラで飛行するマルチコプター型ホビーあたりから
であるという。

その後、中国のDIJ社のドローンが空撮用小型小型無人航
空機として世界中に広まった。

ドローンの本家はこれ、軍事用の無人航空機プレデター

アフガンで使用されたことでしられる。アメリカ本土からリモコン操作でアフガニスタンへの空爆を行う。

CIAも開発に協力していると言われている。

10年ぐらい前ドローンをテレビの報道で初めてみた時は、
まだドローンという名は一般的でなかった。ヘリコプターの
ラジコンだと思っていた。
ドローンという名が一般に知れ渡ったのは、Amazon.comが
配送用のデモンストレーション・ビデオを発表してからだろう。
複数のプロペラが上むきにグルグル回っている。模型のよう
なもので 荷物が本当に運べるのかにわかにはしんじられな
かった。それがあれよあれよという間に進化して一般にも
認知されるようになった。

<ドローンの歴史> (とことんやさしいドローンの本・3・ドローンの歴史から)

無人ヘリコプターの産業利用が始まったのは農薬散布ヘリコプター。有人のヘリコプターによる農業散布は日本の国土には合わず、より効率的な方法として無人ヘリコプターの利用が1980年代に研究され、1990年代から農業散布用無人ヘリコプターが発売された。

無人ヘリの時代

現在は、航空機による農業散布はすべて無人ヘリコプターでなされているという。国内での登録機数は2500機程度で、最大離陸重量100キロ以下で約20リットルの農薬をペイロードとして積むことができる。ラジコンも初期のものは手動の遠隔操作ったが、GPSなどによる制御システムを備えるている。

現在、空撮などの目的で使用が急速に拡大している小型無人機は4つ以上のプロペラの回転数を制御して飛行する電動のマルチコプター。マルチコプター自体は1990年代から研究を目的として使用されていた。2010年にフランスのパイロット社からホビー用のマルチコプター(AR Drooe)が販売されたことで急速に市場が広がったそうだ。

バッテリーにリチュウムポリマーが利用できるようになったことがこうした機体が成立する一因である。バッテリーが重いため電動ラジコン機の実用化は難しかった。2000年代に携帯電話用のバッテリーとして普及したリチュウムポリマーバッテリーは軽量なため、電動無人機のバッテリーとして急速に普及したそうだ。

通信技術の発達も最近のドローンブームを支えている。最近のドローンはWiFiの技術を用いて遠隔操作を行うため、原理的に混信の発生が少なくなってるという。

さらにAR Drooeはスマートフォンやタブレットを傾けることで容易に操縦が可能で、普及の一因となる。その後、中国のDJI社に代表される高性能な空撮用マルチコプターが大量に市場に出回るようになったという。

うーむ、なるほどだいたいの流れはわかった。

子供の頃は、電動で飛行機を飛ばせるなんて想像だにしなかった。マブチモーターの13というのが模型用ではおおかった。

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子供の頃ラジコンにあこがれていた。

久留米市荒木町にある自衛隊の高良台演習場の中に1本の滑走路があり、L19型の連絡機が時々離着陸していた。演習のない日はラジコンマニアの大人たちが模型飛行機を飛ばしていた。中学生のころ自転車でよく見に行っていた。1965年ごろの話。

当時マブチモーターから強力なモーターが発売され、電動模型飛行機に利用できないかとマニアの間で会話がなされていた。単三電池は重すぎるので無理だが、どうも水銀電池というものがあるので、それを使えば電動飛行機の製作も可能かもしれない。いや、実際に水銀電池で飛ばしたひとがいるという記事をみたような気がする。

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まこっちゃん

まこっちゃん

元自動車会社工員、配管工、自動車洗車場、呉服担ぎ屋、土木作業員

昭和61年、琉球大学キャンパス内で架橋工事中に突然脳内出血に倒れる。
以降左半身不随の後遺症が残り1種2級の身体障碍者となる。

昭和64年(平成元年)リハビリセンターで入所中に知り合って交際していた女性職員と入籍。
福岡県粕屋郡古賀町(現古賀市)へ転居。彼女が働き、家事全般は夫がする暮らしを始める。生活費は折半。いわゆる「主夫」となって今に至る。

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